平熱通信

妄想癖、心配性、よそみがち。

白い眼鏡。

比較的高い年齢層のメンバーの中で仕事をしているということもあって、世の中の流行り廃りみたいなところが疎くなっている……という風に書いてしまうのも問題があるのかもしれないが、少なくともまあ、職場の僕のまわりの状況はそんな感じなのである。
もちろん、中年だろうが老年だろうが流行に敏感で、自分のライフスタイルを常にアップデートしている人もたくさんいるのだろうけど、僕のまわりにはそういう人はあまりいない、ということだ。

ということで。
いまだに近距離で見たことがないのが白いフレームの眼鏡なのである。
職場の他のチームとか他のフロアではちらほら見ることもあるし、外を歩けばそれなりに見る機会のある白いフレーム。あれを至近距離で見たことがない。最近、眼鏡を新調しようと思いふとそんなことに気付いたのだ。
僕が選ぶ眼鏡は黒いプラスチックフレームのものが多く、そういえばその他の色のものを選んだことはほとんどない。黒がとても好き、というわけでもないのだが、自然とそうなってしまうのである。せいぜい背伸びをしてうんと濃い茶とか緑で、遠目に見れば黒じゃないか、というようなものばかりなのである。ましてや白なんてワタクシのような者にはとてもとても、なのである。

僕の今後の人生で白いフレームの眼鏡を選ぶことはないだろうと思う。
そもそも自分の顔に似合うとは思えない、という根源的な要因もさることながら、あれは、特別な能力を持つ者のみが着用することを許されているフレームなのではないかというような、ほとんど言いがかりのような思いが僕の中にあるのである。

白いフレームの眼鏡は、特別な能力が許された者のみが着用できる。
他者に対して自己を認識させるという意味で代表的なパーツともいえる顔面をより目立たせる白いライン。その白いラインを追加できる者は、特別な者なのである。では、その特別とは、いったいどういう意味での特別なのだろうか。

それはきっと、「特別面白い」ということなのではないか、と僕は思うのだ。
白い眼鏡とは、とても面白い人が着用できるもの、もしくは、とても面白い人として生きることを覚悟した人が着用できるもの……いやまあ、それもこれも僕の単なる思い込みだとは思うのだが、そんじょそこらの人たちが、ちょっと興味があるというくらいの動機で選んではいけないものが、白い眼鏡なのである。

たとえば会社で、いつも行かないような階に白い眼鏡の人を見つけると、ついふらふらと引き寄せられてしまいそうになる。
あの人の声が聞きたい。あの人の話が聞きたい。あの人は、いったいどんな内容の話をするのだろうか。
日常のささやかな一コマを、抱腹絶倒のコメディに仕立て上げたりするのだろうか。それとも逆に、静かに淡々と語るだけなのに、なぜか続きが気になってしまう良質な私小説のような物語をつむぐのだろうか。

でも僕は近づかない。
揺れる気持ちをなんとか押さえつけ、白い眼鏡の人から距離を取る。
白い眼鏡の人はみんな面白いはずだというのは僕の思い込みであることは自分でよくわかっているし、だいたい、面識のない人間がいきなり近づいてきて、あきらかに自分の発言に聞き耳を立てられたりしたら、白い眼鏡の人もびっくりしてしまうと思うのだ。