平熱通信

妄想癖、心配性、よそみがち。

大いなる愚者の小さな作戦。

……だから、さっき仕掛けておいた例の装置がそろそろ動きだす頃だろう。そうしたら連中、きっとあの大きな門に殺到すると思うのさ。そうなれば我々としては、がらんどうになった大広間にずらり並べられたごちそうの数々を、端からぺろりと味見させていただく、とまあそういう作戦さ。

僕が中学生の頃だから、けっこう昔の話になってしまうのだけれど、二年生の国語の教科書に載っていた小説の一節だ。暗記したものを書いているのでもしかするとどこか間違えているところがあるかもしれないが、内容はおおむね合っているはずだ。
僕はそれほど記憶力が優れているというわけではないのだが、とにかく国語の教師がこのくだりを気に入っていて、何度も何度も読まされているうちになんとなく覚えてしまったのである。あれから数十年経ち、その間に僕はいろいろな(大事なはずの)言葉を忘れてしまっているのだろうけれど、この一節はなぜか頭のすみっこにこびりついてしまった。

これは、教科書の中でメインの教材として取り上げられている文章の合間に、コラムのように挟まれていた文章だ。たしか「翻訳家の工夫」というようなタイトルがついていたような気がする。この文章と、日本の翻訳文学の歴史や、時代ごとの訳文の傾向の解説とあわせて2ページにまとめられていた。
そして、どういうわけか国語の教師がこの2ページを大変に気に入っていて、(たしか)2週間くらい、この文章を題材にして授業を行ったのだ。

文章は覚えたものの、タイトルや作者名まで記憶するにはメモリが足りなかったようで、残念ながらそのへんの情報についてはあまり自信がない。たしか『大いなる愚者の小さな作戦』というイギリスの小説だったはずだ。作者の名前も正確なところは思い出せないのだが、授業中、教師が作者のことを「モリスさん」と呼んでいた記憶があるので、モリス某さんなのだろう。

たまに(オリンピックと同じくらいの周期で)、全編通して読んでみたいな、などと思い、そのたびに大きな書店に探しにいったりインターネットで検索してみるのだが、うまく見つけることができない。もしかすると僕はなにか記憶違いをしていて、あの文章のタイトルは『大いなる愚者の小さな作戦』ではなく、作者もモリス某さんではないのかもしれない……という可能性もあるのだろうが、だとしたら『大いなる愚者の小さな作戦』とはいったいなんなのだ。ちなみに教科書は光村図書から発行されたものだったはずだ。

それはさておき。
何回も読まされて覚えてしまうことになるこの文章を、当時の僕はけっこう気に入っていたのだ。教師が言うところの明治期の翻訳文独特のリズムも面白かったし、「作戦」という言葉をコミカルに使う文章も新鮮だった。
おそらく僕の中で、「作戦」とは、

【作戦】
①戦う際の計画。敵に対する計画。「━を立てる」
②ある期間、敵にたいしてとる行動。「空輸━」「━要務令」

……と国語辞典に書いてあるような、シリアス度の高い言葉であり、それ以外の使い方をこの時はじめて知ったのだろう。これまであまり縁がない言葉として認識していた「作戦」が、この文章を読むことで、ぐっと身近になったのかもしれない。

「作戦」という言葉は、国語辞典的な意味で言えば戦う時に使用するもので、僕がこれまでの人生で、なるべく避けていたのがこの「戦う」という行為なのである。自分で「そういう人間になりたい」と思ったことはないはずなのだが、どういうわけか著しく闘争心に欠ける人間として育ってしまったのだ。
おとなしく、人畜無害で、あまり無茶はしないという、親にしてみたらとても育てやすかったであろう性質自体は悪くはないのだろうが、そのせいか「努力を積んだ結果つかみ取った勝利」とか「目もくらむような達成感」というような経験には縁がなくなってしまった。それはつまり、シリアス度高めの「作戦」という言葉を実際に体感する機会がない、ということとニアリーイコールということだ。

だからたとえば、今、「作戦」という言葉で僕がとっさに思い出すものは、

①恋のウルトラ大作戦
②念力珍作戦
③怪奇恋愛作戦

……という、語感からすでにのんきな「作戦」ばかりなのである。
「あの時、日本代表が勝つためにはああいう作戦にするしかなかった」とか、「結局のところ、第二次世界大戦はこの作戦以降大きく風向きが変わることになる」とか、そういう語彙が我ながらかなり乏しい。まあ、この歳までそういう風に生きてきてしまったので、今後もそういう風に生きていくんだろうなあとは思うものの、「ちょっと惜しいことをしたかもな」という気分は少しある。

一応、補足のために書いておくと、①はすかんちというロックバンドのアルバムタイトルで、②は『ルパン三世』が実写映画化された時のサブタイトルで、③は深夜に放送していたドラマのタイトルだ。ちなみに、『怪奇恋愛作戦』には緒川たまきとか麻生久美子が出演していた。
この三つに共通することがあるとすればコミカルということと古いということだろうか。③は5年くらい前のものなので、個人的には「古い」というカテゴリーに入れることに違和感を感じてしまうのだが、少なくともナウくはない。

ところで。
では僕が作戦を実行することがまったくないかというとそんなこともなく、時々、ひそやかな作戦を計画、遂行することはある。
今回のこの文章の前半部分に書いた中学生の時のエピソードはすべてウソなのだが、そのウソを、なるべく本当っぽく書いてみる、というのが今回の僕の作戦なのだ。勝利条件があいまいで、仮に「本当っぽく」書けたとしてもだからなんなのだ、というようなことなのだが、どうすれば(自分の思うところの)本当っぽくなるのだろうか、などと思いつつキーを叩くのはけっこう楽しい。
なんとなく「あ、それっぽいかも」というものが書けた時の達成感は地味でささやかなものなのだけれど、つい「ふふふ」と不気味に微笑んでしまうことがある。

ということで、『大いなる愚者の小さな作戦』という小説も、そしてそれを書いたモリス某さんという作家も実在しない。ただ、今回のこの文章にタイトルを付けるとすれば、それは『大いなる愚者の小さな作戦』になるのかもしれない。

補足。

文中の「モリス某」さんは、こちらのブログを書かれている森淳さんのお名前を拝借して考えました。僕が言うまでもないことですが、とても面白いブログなんですよね、ここ。
※お題企画「ゲリラブ」第一回に参加しています。
s-f.hatenablog.com