僕は大河ドラマ『真田丸』をとても観たい人間なのである。
「観ている人間」でも「観ない人間」でもなく、「観たい人間」だ。
三谷幸喜がまた大河を書く、という情報をキャッチして以来、ずっと楽しみにしていたのだ。正直なところ、真田幸村がどういう人なのか清々しいほど知らないのだが、どうせ、セリフまわしが巧妙だったり、キャスティングが絶妙だったりで、なんだかんだと面白いのだろう。
ということで、わりと楽しみにしていた『真田丸』なのだが、ついうっかり放映開始からしばらく見逃していたのである。僕に言わせれば、「三谷幸喜がまた大河ドラマを書くよ」という発表がはやすぎたのだ。「なんとそれは楽しみ」と思ってから放映開始まで間が空いてしまったため、すっかり忘れてしまったのである。光の速さで情報が拡散されるインターネット時代の落とし穴といっていい(ごめんなさいこれはあきらかに言いがかりです)。
さて。問題は、どれくらい見逃していたのか、ということになる。
見逃した物語の長さによって、「それくらいの長さなら観ていなくてもなんとかなる」とか「そこまで進行しているとなると、見逃した分のフォローをしないととてもじゃないけど追いつけない」とかいうような判断をする必要があるだろう。
「あ、そういえば、今年は三谷幸喜の大河があるんだった」と思い出し、あわてて我が家の録画機器に「毎週録画」設定をしたのが、なんと5月。話数にして、第17話からである。
ということはどういうことかというと、物語はもう三分の一終わっているのだ。
大河ドラマって、17話から観てもついていけるものなのだろうか。
物語の冒頭から三分の一を観ていないということは、その後の話をすべて観たところで「真田丸」の中の「田丸」部分しか観ていないということになる。まして、17話のタイトルは「再会」なのである。何と再会するのか知らないが、その再会するものは、僕にしてみたら初対面になるのだ。さすがにそれはまずいのではないか。
……この、「冒頭三分の一欠損問題」について、まったく手を打っていないわけではなく、『真田丸』を毎週録画しているという知人が、我が家の欠損部分をDVDに焼いてくれるという話にはなっているのである。ただ、その知人とはたまの飲み会でしか会うチャンスがなく、そのたまのチャンスにことごとく、DVDを持ってくるのを忘れられているのだ。
そんなこんなで8月も下旬になり、物語は「真田」部分まで終わろうとしている。こうしているうちに月日は流れ、ようやくDVDを手に入れたときには物語は「真田九」くらいまで進んでしまっているかもしれない。
それを避けるために、DVDをもらうための飲み会をセッティングしたほうがいいのだろうか。
その知人とは先週飲んだばかりなのだが。
……ここまで書いてようやく、ネット配信などを利用して、お金を払えばなんとかなる問題だということに気がついた。なんたる盲点。
とはいえ。
どうせお金を使うなら飲み会だよね、とか考えてしまう自分が、意外と嫌いではないのであった。