平熱通信

妄想癖、心配性、よそみがち。

コズミック・ベロシティ。

今日はわりと過ごしやすい。
暑くもなく風もあり、窓を開けていればいい具合の風も入ってくる。小さい音で音楽を鳴らし、床に寝転がり、うだうだとどうでもいいことばかり考えて過ごしてやった。
考え事の合間には、最近、最新刊を買った『ダンジョン飯』の古い巻をぺらぺらとめくり、それに飽きるとうだうだと考え事をした。考え事の中身は、想像であり空想であり夢想である。赤面するような希望に満ちた想像もあれば赤面するほどまっすぐな空想もあれば赤面するようないかがわしい夢想もある。
もやもやと頭の中に浮かんだものを材料に、テキストファイルを作ることもある。もやもやしたものをもやもやしたままテキストにするとワケがわからんから、一応、日本語の文章に見えるように少し努力する(この文章のように)。

いつからか、強い雨や風の日に頭が痛くなるようになってしまった。
加えていえば、腰も痛くなるし、気持ちも悪くなる。いつのまにやらずいぶんと繊細な身体の僕なのである。
頭が痛いのも腰が痛いのも気持ちが悪いのもそれだけっちゃそれだけの話ではある。なので、そういう状況になっても仕事をしなくてはならない時は仕事をするし、どこかに出掛けなくてはならないのであれば外出だってする。
だからまあ、日常生活を送る上で致命傷、ということはないのだけれど、まったくもって不要な繊細さである。気温や気圧の変化を繊細に感じ取って体調を悪くするなんてどういうつもりだ自分(の自律神経だか三半規管だか、とにかくそういう関係各器官)と言いたくなる。
選べるものであれば、もっと違う繊細さが欲しかった。たとえば、「思うがまま髪の毛一本レベルの精度で対象に近づき、その触感や温かみを忠実にフィードバックしてくれる指」とか、「相手の心の揺れを巧みに察知し、その時々の最適解を発声する話術」とか、同じ「繊細」ならそういうのがよかった。
たとえば休日にこの繊細モードに入ると、一日ぐったりと気だるげに過ごすことになる。ふと考えてみると、気だるくぐったりしていようが桃色の翼をひろげ夢想の世界をノリノリで飛び回っていようが、ハタから見れば同じように見えるかもしれない。こちらの心持ちはかなり違うのだが、見た感じはどちらもだらしなくごろごろしてるおっさん。動かざること山の如し。ただ春の夜の夢の如し。←ちょっと思いついて書いてみただけで、これといって伝えたいことがあるわけではない。

ところで、「健全な精神は健全な肉体に宿る」という言葉があるが、実は、不健全な精神も健全な肉体に宿るのだ。ちょっと想像してほしい。体力が充実している時でなければ「最近会社で見かけるある女子の臀部はふくふくとしたたいそうなボリューム感であることがここ数日の観察により予想されるのだが、いつもぼんやりとしたシルエットのスカートで臀部を全部格納していてそれを確認することができない。なんとかその優美な曲線を目視することができないものか」といった、不要不急の最高峰というか、時間の無駄の極みみたいな妄想に体内のリソースを割けるわけがないではないか。

ベッドの上でうつろな雰囲気を漂わせつつぐったりとしている時に考えることは、だいたい飛距離も出なければどこにも辿り着くこともできない。自分の筋力の衰えと重力の強さを実感するだけだ。

健全な精神は健全な肉体に宿り、それどころか不健全な精神も健全な肉体に宿る。
なんとなく現世を生きるためのささやかなヒントになる気づきが埋蔵されていそうな雰囲気を感じたので、しげしげとここまでの文章を読み返してみたのだが、まったくそんなことはなかった。
残念。