平熱通信

妄想癖、心配性、よそみがち。

空気吸うだけ。

今年の1月2日が実は振替休日だということを知ったのは、1月4日水曜日のいわゆる仕事始めの日であった。

仕事机に置いてあるカレンダーにそのように記載されているのを見て、なんとも不憫な気持ちになったのである。
こんなにもかわいそうなことがあるのか、と。
こんなにも、誰にも喜ばれなさそうな振替休日、他にあるのだろうか、と。

1月2日にしても3日にしても、カレンダー上は平日であるにもかかわらず、暗黙の了解、というか、なし崩し式に、というか、一般的な認識としては、「ま、休日ということで」みたいに扱われることが多いのではあるまいか。
1月2日(そして3日)は休日扱いされる度にこう思っていたはずだ。
「本当の自分はそんなんじゃない」
外側から見た自分と本人(という言い方が妥当がどうかはひとまず置いておくとして)が思う自分のギャップに苦悩しつつも誰にも打ち明けることもできず、それどころか「三が日」というユニットに半ば強制的に加入させられる。三が日といえば晴れがましいもので、いわゆるハレとケであればハレの存在である。果たして自分はこんなところにいていいのか。自分はいつの間にか何かを、そして自分すらもだましてしまっているのではないか……。

そんな1月2日に、転機が訪れたのが今年なのだ。
元日が日曜ということで、2日が振替休日になった。元旦のおこぼれではあるけれど、あくまで臨時のことではあるけれど、1月2日は、晴れて正真正銘の休日になったのである。本当は平日なのに休日扱いされて、気まずそうにうつむきながら過ごさなくてもいいのである。

赤で「振替休日」と書かれたタスキをかけ、意気揚々と玄関のドアを開ける。
道行く人たち皆に挨拶をしたい気持ちを押さえてはいるものの、足取りはどうしても軽やかになってしまう。なにせ今日の自分は振替休日なのだ。何年かに一度しか訪れないラッキー・イヤーなのだ。
見知らぬ人とすれ違いざまに、ついつい1月2日はこんなことを言ってしまった。
「今日、振替休日なんです」
ついついついでに、タスキの上部と下部を左右の手でつまみ、強調するように前に突き出したりもしてしまった。その時の1月2日はそれだけ上機嫌だったのだ。

ところが、相手の回答はこうであった。
「それが何か」
せっかくのタスキをちらりとも見ず、そう言われたのだ。
世の中の人には、いや、やや大げさにいえば世界にとって今年の1月2日が振替休日であろうがなかろうが、けっこうどうでもいい話なのである。なぜって、1月2日はだいたいいつも休日だから。
うーん、これはきついぜ。
大丈夫だろうか1月2日は。心おだやかに過ごせているだろうか。

今年の1月4日、仕事をしながらそんなことを考えていたのだが、その夜、突然がんがん発熱し、あれよあれよという間に、あの「新型コロナウイルス感染症」というやつに罹患してしまったのである。ちなみに今しれっと「罹患」などと書いてみたが、これが「りかん」と読む「病気にかかったこと」を表す言葉だということは今回はじめて知った。会社に「コロナかかりました届」みたいな書類を提出したのだが、そこに書いてあったのだ。

幸い軽症だったので、薬を飲んでじっくりと熱が下がるのを待つ、というのが当面の作戦になった。薬といっても処方されたのはロキソニン、いわゆる普通の解熱鎮痛剤である。もしかするとコロナオールみたな名前の専用の薬が処方されるのかしらと思っていたのだが、そういうことはなかった。

軽症とはいえ頭痛発熱関節痛喉の痛みはそれなりにきつく、熱が下がるのを待つ間は「じっと横たわる」以外のことをほとんどしなかった。倦怠感と痛みのせいて本を読むとか携帯をいじるというようなことをする気がまったく起きず、ただただ布団の中でぼんやりと呼吸だけしていたのだ。
幸か不幸か、僕はいくつか病を得ているので、何もせず(というか何もできず)ただ横たわるという状態を維持するのがけっこう上手い。特にここ数年、そのスキルは上昇する一方だ。いかがわしい考え事もできないくらいに心身がまいってしまった状態で、ただ空気吸うだけの存在になる。そうなるべくしてそうしているからか、そこには悔しさややるせなさのような心の動きはなく、ただただ生きているだけだ。

そもそも何者でもなく、今後も何者にもなれなさそうな人間がただただ何もしないのだから、誰にも迷惑をかけることはない。そうしているうちに時間はどんどん過ぎていく。この文章を書いている今は2月の下旬になろうとしている時期なのだが、1月上旬のちょっとした出来事を書くのにこれだけの時間がかかっても、誰もも困りはしない。せいぜい僕が「おいおい」とかつぶやきながらくすりと笑うくらいのものだ。
ただ時間だけが過ぎていく、ということに慣れていき、そういう状態が体に染みわたる頃、ざっくりと言えば僕は宇宙に近づくのだろう。ものすごくざっくり言えばだが。

それはさておき、件の新型コロナ以下省略であるが、軽症とはいえなかなかやっかいな病であった。かかっちゃったらしかたないけど、極力かからないほうがいい。
なんだかとてもあたりまえのことを書いているような気はするが、なんというかこう、しみじみと体中でその「あたりまえ」を再確認したような気がする。