まさかタコさんウインナーがこんなに難しいとは思っていなかった。
反対に、楽勝だとも思ってはいなかった。というか、タコさんウインナーを作る難易度について、考えたことなどなかったのだ。
あまりうまい例えではないかもしれないが、いつも使っている電車で、あまり降りたことのない駅に用事ができたという状況と似ているかもしれない。いつも使っている駅ほど予備知識があるわけではなく、かといって、何も思い出せないほど知らないわけでもない。電車自体はいつも使っているものだし、うっすらと土地勘もあるし、よほどのことがない限り迷子になったりはしないだろう。それはつまり、難しいとか簡単とか考えるほどではない案件で、まあ、やれば終わるだろう、くらいにしか考えていないのだ。
そもそも、ちくわカレーを作りたかったのである。
これは、『海街diary』という映画に登場するもので、劇中では夏帆と広瀬すずが食べている。どうやら「けっこういける」らしい。
ちくわとカレーという組み合わせに興味を引かれ、いつか食べてみたいと思っていたのだ。
先日、急に、自分と娘の分の夕食の準備をしなくてはならなくなった時に「今こそチャンス」とばかりにちくわカレーを作ったのだが、そこにタコさんウインナーを入れるというのは僕のアドリブである。
ちくわの味と食感には甘口のカレーがあうのではなかろうかと予想し、どうせ甘口にするのなら、いっそ子供っぽい見た目にしてやろうということでタコさんウインナー投入を思いついたのだ。今までタコさんウインナーなるものを作ったことも作ってもらったこともないのだが、要はウインナーの下半身が八本足状になるように切れ目を入れればいいのだ。あとは、炒めるとか煮込むとかいった加熱をすることで、それっぽく足が開くはずだ。
ところが、である。
完成したカレーは、事前の予想とはかなり違う見た目になってしまったのだ。これをどう表現していいものか難しいところだが、簡単に言うと、「なんかこわい」のである。
原因は明白で、タコさんウインナーにある。
タコさんウインナーの足は、太さをそろえて切らないと、こわい感じになるのだ。多少不ぞろいになるくらいなら問題ないのだろうが、今回の僕の作品はあまりにも雑すぎた。やたら太い足のとなりに極端に細い足、というようなものを作ってしまうと、加熱して足が開いたときに、細い部分が「暴力的に引き裂かれた」ように見えるのだ。
また、足の長さのバランスも、健全なタコさんウインナーを作るにはかなり大切な要素であることがわかった。妙に足が長くなってしまって、全長の九割が足、みたいなものを作ってしまうと、生理的に違和感を感じるのである。おそらく、無意識のうちに、「頭の一部が裂けている」ように見えてしまっているのだろう。
「タコの体と足の長さの割合は普通はこのくらい」というように、自分なりの標準規格のようなものが頭の中にインプットされていて、そこからあまりにも逸脱したものを見てしまうと、生理的な違和感を感じたり、こわく見えたりするのではないだろうか。
この場合のこわさの種類は、「ぎゃー」とか「うわー」とか叫ぶようなものではなく、息をのむほうのやつだ。
たとえば、振り返った子猫の目に相当する部分に何もなく、みっしりと毛が生えていたら。
たとえば、ニッコリ笑った幼児の口から見える歯が通常の半分の細さで、そのかわり本数が倍あったら。
たとえば、「私ってキレイ?」と聞いてくる彼女の口が、耳まで裂けていたら。
そういう意味でいうと、ミジンコを正面から見た姿もなかなかこわい。
ミジンコというのは、あの、水の中にいる、半透明のアレである。義務教育を受けていれば、誰もがどこかで出会うだろう、超有名微生物だ。
我々が目にするミジンコの写真は、なぜか横向きのものが多い。では、ミジンコは正面から見ると、どういう姿をしているのだろう。見たことがなかったとしても、なんとなく、想像はできる。それも、特に意識しないでも、無意識に。
その、横向きの姿から無意識に想像した正面図と、実際のミジンコの正面図は、ちょっと違うのである。いや、ひょっとすると、「私は正確に想像できました」という人もたまにはいるかもしれないが、多分、大多数の人は、ミジンコの正面図を見ると驚くのではないだろうか。
僕がこの件について知ったのはけっこう最近のことなのだが、インターネットで検索をした画像を見たときに、思わす息をのんだことを覚えている。
背筋がすうっと寒くなるような恐怖を感じたのだ。
話をタコさんウインナーに戻そう。
もはや、「タコさんに似た奇怪な何かウインナー」としか言えないものが入ったカレーを、娘は黙って食べたのであった。そして、ウインナーの形状には一切触れず、
「味は問題ない」
と感想を述べた。
言うまでもないことだが、味に関してはウインナーとカレールーのメーカーのおかげであり、僕はほとんど貢献していない。
静かな夕食はいつしか終わり、奇怪な生物がかつてここにいたという事実は闇に葬られたのであった。