開園後間もない時間だからなのか、都立庭園であるところの六義園はそれほど混んでいなかった。ちなみに最寄り駅はJR駒込駅。余談以外の何物でもないが、駒込駅から六義園を右手に眺めつつ通り越すと、数百年前に僕が卒業した小学校がある。
名物しだれ桜はなかなかきれいだった。
「おおきれいきれい」などとつぶやきつつ持参した小さなカメラのシャッターを何回か押してみたりする。去年のように「見てもいいけど立ち止まるな」というようなことは言われなかったが、「花に触れないで」とか「撮影している人は後ろにもいるんだからあまり花の近くを占拠しちゃダメ」とか「三脚はノーサンキュー」とか、警備係の人から発せられる様々な注意事項が飛びかっている。すべて「ごもっとも」、「その通り」という内容なのだが、あまりにも連呼されると、なんとなく、名勝庭園で桜を眺めるというムードから気持ちが遠くなるような気がしないでもない。いや、注意喚起は必要だ。必要なのだがしかしなあ……等々、もやもやと考えていてもグッドなアイデアは浮かばない。とりあえず僕はおとなしくしておこう、と思うくらいだ。
ゆっくり座れるところを探し、コンビニで買った缶入りハイボールを開ける。その味付けに興味をひかれて思わず買ってしまった「わさび醤油味」のアーモンドをぽりぽりと食べながら、ハイボールをちびちびちびちびと飲む。空いていることを優先して座れる場所を選んだら、桜が見えないところになってしまった。そのかわり大きな池を見ることができて、少し冷たい風に吹かれながらぼんやりと巨大な池を眺めるのはけっこう気分がよかった。ただ、気分はいいがこれは池見であって花見ではない。
わさび醤油味のアーモンドは、まさに「アーモンドにわさび醤油味を付けました」という味で、わさび醤油とアーモンドがお互いのジャマをすることなく、言い方を変えると他人行儀というか、1+1が2以上になるというような、もしくは、まったく予想できなかった美味さ、ということもなく、清々しいほど想定内の味わいなのであった。こういう書き方をするとほめてないように思われるかもしれないが、それなりに手堅く美味い。
ここには、僕のような単独行動の人間もいれば、手をつなぐこと自体が楽しいといった風のカップルも、家族連れも、友達同士も、間柄はわからないが外国人もいる。
今から数百年前、ここからママチャリで10分くらいのところに住んでいたのだが、もし、一度も引っ越しをすることなく、この歳になるまでそこに住み続けていたとしたら、たとえば今日のような日は、近所の友達と桜を見に来ていたりしたのだろうか。
それはもう、そうかもしれないし、そうではないかもしれないとしか言いようがないことで、その想像に何の意味があるのか自分でもよくわからない。
そこにはかなり長く住んでいたはずなのだが、たとえば「地元」とか「幼なじみ」という言葉がどういうわけだか自分から距離があるものに思えてしかたがない。「僕は何をやってもだめな人間だから、きっと30歳くらいまでしか生きられないに違いない」というようなことを頑なに信じていたような少年時代だったので、日々を生きるということについて色々と手を抜いていたのかもしれない。
それにしても、かつての僕はどうしてそういう風に思い込んでいたのだろう。あまりにも昔のことなのでよく覚えていないのだが、日々、「僕はだめだなあ」と思いながら生きていたのだろうか。
ところで、撮った写真を自宅で確認してみたところ、どれもこれも見事に青っぽくなっていた。以前、少し凝った撮影をしたときに色設定をいじってみたままもとに戻し忘れていたのだ。そういえば、撮影している時に「なんか画面が青っぽいような」と思ったのだ。ただその時は、「まあ、目の調子が悪いのだろう。最近ちょっと疲れ気味だし」くらいに思っていたのである。
これこそ、「僕は本当にだめだなあ」というやつだ。