平熱通信

妄想癖、心配性、よそみがち。

「とりま」の「ま」。

「とりま」という言葉が「とりあえず、まあ」の略だということは知っていたけど、その言葉に出会うのは文章の上ばかりで、音声で聞いたことは今までなかったのかもしれない。

そう思ったのは、仕事中に、僕の席のそばにあるミーティングスペースから、「とりま、なるはやでやっつけちゃいましょう」というセリフが聞こえてきたときに、「とりま」の部分で耳が新鮮な違和感を感じたからだ。

はじめて聞く「とりま」という言葉から反射的に僕が思い浮かべたのは「鶏肉とねぎが交互に刺してある焼き鳥」であった。時間帯が夕方だったこともありお腹が鳴りそうになったのだが、この連想は(言うまでもなく)間違っている。「鶏肉とねぎが交互に刺してある焼き鳥」は「ねぎま」であり、「とりま」ではない。

ところで僕は「ねぎま」の「ま」は「間」を意味する、と思い込んでいたのである。だから、「肉の間にねきが配置されている串焼き」もしくは「ねぎの間に肉が配置されている串焼き」を「ねぎま」と呼ぶのであれば、同じ串焼き料理を「とりま」と呼んでも問題ないのではないかという、まあ、我ながら「だからなんだというのだ」としか言いようのない仮説を立てていたのだ。

ところがというかなんというか、ちょっと調べてみたところ、「ねぎま」の「ま」は「間」ではなく「まぐろ」の頭文字らしいということがわかり、ちょっとびっくりしている。

ざっくりと言うと、大昔、ねぎとまぐろを交互に刺した串焼き料理があり、それが「ねぎま」と呼ばれていた。だがその後まぐろは高級食材になり、それを契機としてまぐろ部分を安価な鶏肉に交換した串焼きに形態が変わっていった(らしい)。
まあ、それ(原材料費の高騰によるレシピの変更)自体には「ま、そういうこともあるだろうね」とは思うのだが、問題は、料理名にも採用されている主要材料が変わったにも関わらずその名称に変更がなかったということだ。
なにをしておったんだ、昔の人。

それはそれとして。
材料名から命名され、その後その材料は使われなくなったものの、名称に変更なく今に続いている……というようなものって、他にもなにかあったような気がするのだが、これがどうしても思い出せない。なんだっけかなあそんなの他にもあったよなあ等と口の中でつぶやきつつ、大変もどかしい思いをしているのである。

もみじまんじゅう
かつて、甘辛く煮詰めたモミジの葉をあんとして使用したことからこの名が付いた。
が、「葉っぱ煮詰めてもぶっちゃけそんな美味くない」などの理由で、次第に小豆あんが使用されるようになった。

……いや違う。
これは苦しまぎれに今考えたでたらめだ。

そうではなくて何かあったはずなんだけどなあ。
なんだっけかなあそんなの他にもあったよなあ。