平熱通信

妄想癖、心配性、よそみがち。

世界にやばみがあふれてる。

会社からの帰り道、電車の中で見かけた三人の女の子たちの話である。
彼女たちはおそろいの制服を着ていて、おそろいの通学カバンを持っていた。背格好や表情などから総合的に判断すると、おそらく高校生なのだろう。ただし、僕はこの手の見立てが大変下手なので、もしかしたら大人びた中学生という可能性もなくはない。

三人は横並びに座り、楽しそうに会話をしている。
聞き耳をたてていたわけではないのだが、けっこう大きな声で話しているので話のあらすじくらいはなんとなく伝わってくる。内容はどうやら教師の悪口、部活の先輩のランク付け、共通の友人の色恋沙汰という三つの話題を混ぜ合わせたものを基本としていて、そこから話はあちこちに飛び、その合間には大爆笑、という、なんだかうらやましくなるほどの盛り上がりだ。

さて。
耳に届いてくる会話をなんとなく聞いているうちに、真ん中に座っている子が「やば」しか言っていないことに気がついた。
左に座る子が「明日、朝イチから小テストだよね」と言えば「やば」、右に座る子が「○○先輩、めっちゃ早く登校してひとりで朝練してるらしいよ」と言えば「やば」、再び右の子が「△△って、□□と付き合ってるらしいよ」と言えば「やっば」、左の子が「あ、ガチャで鬼レア出た」と言えば「やばっ!」と、左右の子が繰り出す話題に句読点を打つかのように、やばやば言っているのだ。「やば」の音量、トーン、勢いなどは毎回工夫してあって、その工夫が会話のテンポを小気味いいものにしている。
会話の内容に関わらずひとつの言葉で対処するという、たとえるならばどんな料理でも結局は醤油で味付けして食う、というような、ある意味でミもフタもない大胆さに、なんとなく感心したのであった。

この場合の「やば」は、もちろん「やばい」の略である。もともとはいい状況の時には使われなかった言葉が、いつの間にか守備範囲を広げていたという意味でいうと、最近は「えぐい」あたりも同じ使い勝手の言葉になっているようだ。ここで思わず「最近は」という言い方をしてしまうくらい若者から遠く離れ、最新の言葉事情にうとくなっている僕自身は、「えぐい」という言葉を使ったことはほとんどないと思う。

そういえば、かつて、というか、それほど遠くない過去、「全然いいじゃん」、「全然アリですよ」、「全然美味い」などというような言い回しはしていなかったような気がするのだが、今となってはそのへんの理由がすぐには思い出せなくなってしまった。
日々使われる言葉たちは、それが使われる状況にあわせて少しづつ意味や用法が更新される。……などと書いてみるとなんとなくもっともらしいが、その変化について個人的にはこれといった意見はない。ただ、なんだか面白いものだなあと思いつつ、時々言葉遊びとして新しい言葉使いを試したりするのはわりと好きなのである。
というわけで、最近では、「わかりみ」のように、言葉のお尻に付ける「み」の使い方が下手だということで、娘に笑われたりしている。

がっかりみー。