平熱通信

妄想癖、心配性、よそみがち。

静物。

久々に髪を切りに行く。
その後、近くのショッピングモールに入っている本屋で西村ツチカの『北極百貨店のコンシェルジュさん』2巻を買う。
帰宅してから少しづつ読み、読み終わった時には夜になっていた。それほど厚い本でもないのだけれど、休憩をはさみつつ少しずつ読んでいたら半日がかりになってしまった。

医師から薦められて新しい薬を飲み始めてから2か月ほど経った。
2か月前のあの日、医師は「飲み始めてから、薬が体になじむまで、副作用が出ることがあります。吐き気とか、悪寒とか」と、早口で説明して、その後、「ま、全員が全員、副作用が出る、というわけではありませんから」と付け加えた。

薬を飲み始めた日にわかったことは、僕は「副作用が出る」タイプの患者だった、ということだ。吐き気と悪寒は2週間ほど続いたのだが、平日に仕事をしつつこれらの副作用とつきあうのはけっこうやっかいなことであった。在宅勤務の日にはひたすらうなだれて作業をこなし、出社する日には極力平静を装い、平静を装いすぎるあまりに演技が過剰になり、気が付けば不気味な薄ら笑いを浮かべていたりした。

仕事が終わるとどっさりと疲れていて、すぐにベッドに横になっている。平日も休日も、食事やトイレや入浴以外の理由でベッドから出ることはほとんどなく、出社以外で唯一の予定された外出である、朝の犬の散歩も日によっては家族に代行してもらうことがある。
今は吐き気も悪寒もほとんどないものの、「どっさり疲れる」のはそのままで、まるで古いスマートフォンのように、たっぷり充電したはずなのにすぐにエネルギーがなくなってしまう。

仕事とか食事とか、生きるために必要なことをする以外はベッドの中にいる……というのは少し大げさかもしれないが(現に時々はこういう文章も書けているくらいなので)、まあ、おおむねそういう生活を続けていても、「こんなのって生きてるっていえるのか」みたいなことを考えることはない。これは自分の中ではけっこう意外なことであった。なんというかこう、こういう状況になれば、現状を憂い、落ち込んだり嘆いたりするのではないか、と思っていたのだが、そういうことはなかった。
深く考え込むほどエネルギーに余裕がないということなのか、それとも脳にある種の危機回避機能があるということなのか、現状を憂う前に思考が停止して、これといって何を嘆くこともなく、ただ黙って横になっているような気がする。

学生の頃、実家に住んでいた頃に飼っていた猫は、病気になると決まって、両腕を折りたたんだスフィンクスのようなポーズで、じっと目を閉じ、顎を引いて静かに座り、病が治癒するのを待っていた。騒がず、動かず、時々エサを食べ、トイレに立ち、薬を飲まされる以外は、ただ同じポーズで何日もひたすらじっとしていたのだ。それはなんというか、孤高、という言葉を連想させる光景であった。

そういえば、ベッドの中にいる時間が長くなったことで、犬がよく遊びにくるようになった。僕が寝ているベッドに飛び乗って、慣れた調子でフトンに潜り込み、顔だけ出した状態で「はあ」とため息をつき、たいていはそのまま寝てしまう。肌寒くなった時に風呂に入りたくなるようなものなのかもしれない。正直なところ、悪い気はしない。

今日は久々に髪を切りに行った。
その後、近くのショッピングモールに入っている本屋で西村ツチカの『北極百貨店のコンシェルジュさん』2巻を買った。
帰宅してから少しづつ読み、読み終わった時には夜になっていた。それほど厚い本でもないのだけれど、休憩をはさみつつ少しずつ読んでいたら半日がかりになってしまった。『北極百貨店のコンシェルジュさん』はとても面白いマンガであった。

……ということはつまり、今日は寄り道をしたということだ。髪を切りに行こうと思った時点では、その後に本屋に行くつもりなどなかったのだ。髪を切ったらそのまま帰宅して、そのまま横になるつもりだったのだ。そういえば、本を一冊読みとおしたのもけっこう久しぶりのことだったのだ。
もしかすると、明日あたりは調子に乗って、ちょっと散歩なぞしてみたくなるかもしれない。それとも、より一層疲れていて、ベッドから出られなくなるかもしれない。

というわけで、寝室の電気を消し、薬が体に完全になじむのをじっと待っているのだ。あいかわらずどっさりと疲れてはいるけれど、それでも最初よりはかなりマシになっているはずなのだ。
暗闇の中で、寝息をたてる犬の背をなでながらそんなことを思っていたら、自分が目を開けているのか閉じているのかわからなくなっていた。