平熱通信

妄想癖、心配性、よそみがち。

眠れぬ夜のために。

どうしても眠れない夜、というものがたまにある。頻度としては年に数回。子供の頃から延々と続く、困った不定期イベントだ。どこかが痛かったり苦しかったりするわけではないのだが、ただただ眠れない。

眠れないなら起きているしかないのだが、一日分の疲れのたまった体も頭もどんよりと重く、眠くなるまで何かしよう、という気分にはなれない。やっかいなことにこういう時は音楽を聴いてもテレビを付けてみてもなんだかうっとうしく感じてしまうので、暗闇の中でじっと考え事でもしているしかない。といっても、どんよりしている脳ではそれほど難しいことは考えられず、その時の僕はなぜか夢について考えていた。
眠っているときに見る方の夢、である。

僕はあまり夢を見ない。
もしかしたら見ないのではなく、見ていても覚えていない、というやつなのかもしれないが、夢を見た記憶があまりないのだ。
その上、というかなんというか、時々見る夢はたいてい怖いもので、それは、ストーリーの怖さであったり、現実的にはあり得ないような意味のわからない映像や音響の中に放り込まれる怖さであったりとバリエーションは様々で、とにかく目が覚めた時に「もう二度と見たくないぞ」と思うようなものばかりなのである。
「これはぜひまた見たいなんなら今すぐリプレイしたい」と思えるような夢に出会ったことは、今までの人生でおそらく5回もないような気がする。

個人的に興味深いのが、いわゆる「いい夢」のほうの内容がすべていかがわしいということだ。それはつまりそれ以外の内容の「いい夢」は覚えるに値しないと僕の脳が判断しているのか、それとも僕の深層心理が求めている「いいこと」が、突き詰めれば「いかががしいこと」に集約されるということなのか、そこらへんのカラクリはよくわからないのだけれど、とにもかくにも、せっかく「いい夢見たなあ」などと思っても、その内容は人には言えないことが多い。特に、当人の前では(「昨日見た夢の中で、君は実際には見たことがないような短いスカートを穿いていてね。たまたま一緒に歩いている時にすんごい風が吹いてきてさ……」)。

……今日の昼休み、上に書いたような内容を箇条書きでメモしたのだが、それをどうやらそのまま会社に忘れてきたようなのだ。職場のルール的に、帰宅時には私物は引き出しにしまうことになっているので、相当うっかりしていなければ机上にメモを放置して帰宅することはない。
とはいえそのメモは仕事で使うものではなく、ごく個人的に必要なことや思いついたことを書き留めているもので、それをしまうべき場所は通勤カバンの中なのだ。会社の引き出しにしまう習慣はないのである。
ならば会社のその他の場所、たとえばメモを書いた休憩室に落としたのだろうか。もしくは問題はそこまで深刻ではなく、なにかの拍子に他のものといっしょに引き出しにしまっていた……というだけの話かもしれない。
とにかくあのメモを人に見られるわけにはいかない。それはとても恥ずかしいものだからだ。こんなことになるのなら、あの時書いた固有名詞を、もっとしっかりと消しておけばよかった。書いてて恥ずかしくなり、ちゃちゃっと二重線で消したあの名前。あれはまずい。本当にまずい。

心配で心配で今夜も眠れそうにない。
やれやれ。