平熱通信

妄想癖、心配性、よそみがち。

(小声で)前書きのようなもの。

僕は朝晩2回、病院からもらった目薬を点眼している。目の病気を持っているのである。
点眼する目薬は、朝が2種類、夜が3種類だ。目薬をさした後は、しばらく目をつぶったままじーっとする。医師から推奨されているからだ。夜の部の点眼の時は、ベッドに横たわり、音楽を聴きながら、じーっと目を閉じることもある。
時々困るのが、目を閉じている間にそのまま眠ってしまうことで、その傾向は特に雨の日になると多くなる。目を閉じて雨音を聞いているだけで、ついうとうとしてしまうのだ。僕は、世の中の多くの猫たちと同様、雨の日はとことん眠くなる体質なのだ。僕などがいまさら言うまでもないことだが、雨の日の猫はとことん眠いものだ。

雨音を聞きながら、ふと、「まずい。眠くなってきたにゃあ」とつぶやいてみる。実際の僕を知る人がこれを読んだら、語尾に「にゃあ」を付けて話している僕を思い浮かべて、とても困った気持ちになるだろう。しかし、僕が書く文章の中では、僕は基本的には何をしてもいいことになっている。「基本的に」と書いたのは、やはりよくないことは書かない方がいいような気がするからだ。とはいえ、何がいいことで、何がよくないことなのかという基準は、とりあえず僕が決めている。

目薬の副作用で、僕の目はいつも充血している。病気とのつきあいが長くなるにつれ、その範囲と赤みは少しずつ増しているようだ。
いつか両方の目が真っ赤に染まってしまったとき、僕の耳はぽとりと落ち、体を白くモフモフした毛が覆い、頭頂部に細長い耳がにゅーっと生えて、語尾に「ぴょん」を付けてしゃべるウサギ人間になるのかもしれない。というか、この際なってしまわないかなと思うこともある。

「舞台の上でなら、私たちはどこにでも行ける」というようなセリフがあるのは、ももいろクローバーZが主演した『幕が上がる』という映画だ。これは学生演劇を題材にしたもので、なかなかいい青春映画だと思う。

僕が書く文章の中では、僕は僕の思いつく範囲のことならなんでもできる。僕の行く手に壁があるとするならば、それは想像力とか空想力とか妄想力とか、そういうなにかの力の限界なのだろう。

さてさて今日は何を思いつけるだろうか。それもできれば面白く、そしてなるべく面白いだけのものを。
……僕がそういうことをつい考えてしまうのは、世の中に対してがつんと大きな声で言いたいことがあまりなく、単にそういうことをするのが好きだからだ。
僕が世の中に向かって言える自分の信条なんてたかがしれていて、今、ぱっと思いつくものを挙げてみても、「大事なことはなるべく小声で静かに話そう」とか「いいよ、と言ってくれる女の子以外のスカートはめくらないようにしよう」くらいしか思いつかない。

世界の片隅でこっそりと、僕はどうでもいいことばかり考えている。そうして生まれた文章は、読んで得することはまったくないけれど、ヒマつぶしくらいにはなる……といいんだけどなあ、と思わなくもない。