平熱通信

妄想癖、心配性、よそみがち。

スキカキらいかデイウト。

「好きか嫌いかで言うと」

そう彼女が言ったような気がした。
いや、正確には、
「貴方のことを、好きか嫌いかで言うと」
と言ったような気がしたのだ。
僕はおおいに驚いて、画面の向こうの彼女に、その旨を確認した。
今、僕のことを、好きか嫌いかで言うと、という切り口でジャッジしようとしたのではあるまいか、と。
画面上の彼女は眉間にシワを寄せ、少し小首をかしげて考える顔になった後、「お」と何かに気づいた顔になった。そして、画面の外からノートを取り出してボールペンでさらさらと何か書き、それを僕に見せてくれた。
「鋤牡蠣ライカでいうと」
そこには、こう書かれていた。
「さっき私が言ったのは、すき、かき、ライカでいうと、です」
彼女はノートに書かれた文字をゆっくりと読み上げ、とりあえず僕は、鋤とか牡蠣とか、すらすらと書けるのはすごいな、と思った。

彼女は、僕が前に勤めていた会社の後輩で、たしか7歳くらい年下だったはずで、初対面の時から、僕のことを一貫して「貴方」と呼ぶ数少ない人物だ。
席はそれなりに近かったから、入社当時から顔と名前くらいは知ってたものの、同じグループで仕事をしたことはない。残念ながら僕は、違うグループのメンバーと親交を結べるほど器用な人間ではなく、我々の関係は、彼女からの働きかけにより生まれたものであった。
「いきなり聞かれても困るかもしれませんが、好きな時刻は何時ですか?」
今から数年前、彼女は僕の席までやってきて、そういう質問をしてきたのであった。
なにせはじめての会話だったので、僕はそれなりに驚いたものの、質問の内容がわからないわけではなかったし、年上はしっかりと落ち着いていなければならないという謎めいた使命感のせいで、あわてふためくことなく「15時かな」と答えることができた。なんだかマンガとか小説とか、作り話のような状況だが、実際に起きてみると意外と冷静に対処できるものらしい。

とりあえず回答はして、その後、その質問の意図を確認すればいい……と思い、口を開いた瞬間、それをさえぎるように彼女は再び質問してきた。
「それはなかったことにして、次に好きな時刻は何時ですか?」
想定外の展開にやや動揺しつつも、なんとか「そりゃあ18時だよ」と答えたところ、彼女は心底がっかりした顔をして、
「それもダメです。15時はおやつで、18時は退社時刻だから好き、とか、そういう理由で選んだんですか。それはそれで悪くはないと思いますが、私はもっと、貴方にロマンあふれる回答を期待していたんです。まあ、勝手に期待したほうも悪いとは思いますが」
と一気にまくしたてたのであった。
15時と18時を選んだ理由は彼女の予想通りだった。感心しつつ僕は、彼女のくるくるとよく動く目を見ながら「それにしてもよく目が動く人だな」と、見たまんまのことを考えていた。写実主義。

その後、彼女がとうとうと語ったことを簡単にまとめると、5時でも7時でも11時22分でも、アナログ時計の長針と短針の間の角度を計算する公式を考えた。Excelのマクロにしてあとで社内メールで送るので、これからはどんな時刻の角度を知りたくなってもパソコンとExcelさえあればたちどころに解決できる、とのことだった。
正直なところ、この会話をするまでアナログ時計の針の角度に興味を持ったことなどなかったし、今でもそれほど興味はないのだけれど、一心不乱(あの時の様子はそう形容してもいいと思う)に説明する彼女の目と動作を見ていたら、なんとなく彼女自身の中身のようなものが透けて見えたような気がして、この人は信用できる、と確信したのであった。
この一件以来、彼女は時々僕の席に来ては、「ヤマタノオロチって、頭が8つならナナマタノオロチじゃないですかね」とか「どうしてスカートが短いとミニなのに、パンツが短いとショートなんでしょうね」みたいな話をするようになった。
その後、僕が転職してからは時々メールをやりとりするようになり、いつしかそれがLINEになり、そのLINEで先週提案されたのが今晩のオンラインミーティング用アプリによる会話になる。お互いにビールを飲みながら話しているので、今年の流行りの言い方でいえば、オンライン飲み会というやつだ。

久しぶりに顔を見ながら話をしていたら、ふと、昔のことを思い出した。
そこで、どうしてあの日、好きな時刻の話を僕のところに持ってきたのか聞いてみると、その返答は、僕が上司に冗談を言って盛大に滑っているところを目撃して、自分と同じ匂いを感じたから、というものであった。
「自分が面白いと思うものを、自分の好きな言葉で説明すると、相手に理解されないことが多いタイプなんじゃないかな、とその時確信したんです。そのくせ、面白いことを考えて他人と共有したい、みたいな欲はある。そういうところに勝手にシンパシーを感じていて、なんでもいいからいつか話しかけてみよう、と思ってました」
という彼女の解説は、納得がいくようないかないようなものだったが、そこで選んだ話題が「好きな時刻の角度」というのはやはりすごい。
その話の流れで、思えば我々の細々としたつながりもけっこう長続きしてますな、という話になり、その後、彼女が突然言い出したのが、「私にとって貴方は、鋤牡蠣ライカでいうと……」なのだ。

どうやら、「鋤」、「牡蠣」、「ライカ」が、今の彼女にとってどうしても気になるものの代表らしく、それにあてはめてみると、彼女にとって今の僕はどのように気になっているのか、という話を彼女はしようとしている。
どうして彼女がそんな話をする気になったのかはよくわからない。参考情報として書いておくと、彼女の酒を飲みながら話をするのは(会社行事的な飲み会を除いて)今夜がはじめてかもしれない。

鋤というのは農具の一種で、簡単にいえば細いシャベルのようなものである。この上で肉を焼いたのがすき焼きという料理のもとになったという説があるが、そもそもどうして農具で肉を焼こうと思ったのか。調理器具を忘れるようなうっかり者だったのかもしれないが、そんなうっかり者は肉を焼く前の鋤をきれいに洗っているのだろうか。というか、ここでやっていることというのは突き詰めれば鉄の板の上で肉を焼いているということなので、出来上がったものは現在のすき焼きというよりは焼肉、もしくは鉄板焼きなのではないか。
ということで、「鋤」は、なんだか消化不良的な意味合いでもやもやと気になるものの象徴。

牡蠣という貝を彼女は最近になるまで食べたことがなかったらしい。牡蠣は別名「海のミルク」とも呼ばれているわけだが、牛乳が苦手だった彼女は「そんなものは食べる必要なし」と判断していたらしい。ところが最近、何かと間違えてついうっかり牡蠣フライを口に入れてしまったところ、これが想像以上に美味いもので、今までそれに気づかなかった不幸に大変悔やんでしまったそうだ。今では牡蠣フライは大好物だが、そんな牡蠣に「海のミルク」というニックネームを付けた人には一言文句を言いたいと思っている。
ということで、「牡蠣」は、今まで長い時間気づかなかった分、気づいてしまった時の気になり方がハンパないものの象徴。

ライカについては細かい説明は不要。写真を趣味とする者にとっては永遠の憧れ。
ということで、「ライカ」は、一番にはならなくても、常に高いランクで気になっているものの象徴。

……というようなことを彼女は朗々と話している。
さっきよりも顔が赤いような気がするぞ、と思い、よくよく観察してみると、いつの間にか持っている缶がアルコール度数の高いチューハイに変わっている。
彼女にとって僕は、「鋤」なのか「牡蠣」なのか「ライカ」なのか、この後語られることになるのだろう。ってゆうか、「鋤」なのか「牡蠣」なのか「ライカ」なのかって何なんだよ、と思い、少し笑ってしまう。

そして、僕はそういう彼女が、好きか嫌いかで言うと、かなり好きなんじゃないかと思っている。

※今回の記事は牡蠣……いや違った、下記の企画に参加しています。
s-f.hatenablog.com