平熱通信

妄想癖、心配性、よそみがち。

浦島太郎、ヒゲを剃る。

電動のシェーバーが壊れていることに気づいたのは9月4日のことだ。その日は台風が来ていて、知人のアナグマさん(もちろんニックネームだ)から、通勤時の安否を気づかうLINEが来ていたのだ。その時のやりとりをさかのぼって見てみると、それは9月4日のことだったので、この日付にはけっこう自信がある。

今の会社でサラリーマンをやっている以上、シェーバーは必需品ではあるのだが、台風が来てるから電気屋に寄るのもやっかいだ、というようなことを考えながら帰宅する途中、言ってみればその場しのぎ的な発想で、T字型の、いわゆる安全カミソリを買ってみた。
僕の肌は大変弱く、ある程度のカミソリ負けや出血を覚悟しないと安全カミソリを使えないのである。各カミソリメーカーが持てる力を結集して製品の開発にあたっているとは思うが、僕にしてみればどれももうひとつ安全ではない、不完全カミソリなのだ。

何年かに一度、気まぐれに「肌に優しい」というキャッチコピーの新製品を試してみて、連敗しているというのが今の状況だ。今回も、「まあ、カミソリ勝ち(もちろんこれはカミソリ負けの反対語だ)することはないだろうな」という、負け戦と知って戦う武士の気持ちで……というとかなり大げさだが、まあ、あまり期待はしていなかったのだ。

僕というごく小さな人間の、ごく小さな驚きと、それがもたらしたごく小さな楽しみを記すのが今回の目的で、それはつまり、
「今の安全カミソリは、本当に安全だ」
「ぞりぞりとヒゲを剃るのが妙に面白くて仕方ない」
ということをいいたいのである。

いやまあ、あまりにも普通というか、わざわざそれを書くか、という内容にみえるかもしれないが、僕のように「連戦連敗軟弱肌」を持ち、安全カミソリに文字通り痛い目をみていた人間にとって、この進歩は、なんというかこう、ちょっと大げさにいえば、未来にタイムスリップしたくらいの衝撃なのである。

軽い抵抗を感じながら、ぞりぞりとヒゲを剃るのはちょっと楽しい。いや、楽しいというのは少し違うかもしれないが、今、ここにはめ込む言葉がちょっと思いつかない。印象の近い言葉は、「爽快感」とか「達成感」だろうか。
今までは、ぞりぞりがすぐヒリヒリやチクチクに変化して、気持ちがずいぶんと暗くなったものだが、ぞりぞりがずっとぞりぞりと続くと、なんとも快適な気分になる。
今まで難なくぞりぞりライフを満喫していた人には、この快適さのありがたみはちょっとわからないような気がする。

この2週間ほどで安全カミソリのあつかいもかなり上達した。使い始めの頃は、「おお剃れる剃れる全然痛くない」などとほくそ笑んでしまい、想定外の動きをした顎の皮膚がカミソリの刃にひっかかって出血するというようなこともあったのだが、今はそういうこともなくなった。

そもそもなぜヒゲを剃りながら笑うのだ、という疑問を持つような、強靱な肌を持った上でぞりぞりライフを満喫しているような人には、つい笑ってしまう人の気持ちは決してわかるまい。