平熱通信

妄想癖、心配性、よそみがち。

眠れぬ夜のために。

なんだかよく理由はわからないけれど、どういうわけか眠れない夜がある。
眠れないとはいえ体にはまだ前日の疲れが残っている。だからたとえばむくりと起き上がって本を読むとかパソコンのスイッチを入れるとか、そういう気力はまだチャージされていない。それどころか、スマートフォンを見ることすら面倒くさい。

そういう時は、暗闇の中ただじっとして、ぼんやりと過ごすことになる。
とりとめもない考え事をして、でもそれをまとめる気力はなく、ただただ流れる時間の水底に横たわる。深刻な不眠症、というわけではないような気はするけど、朝になったら会社に行かなければならないような時にはけっこうやっかいなクセ(クセ?)だ。

最近気がついたことなのだけれど、こういう眠れない夜に限って、僕の体内にある時計はかなり正確になるらしい。
ベッドの上でぼんやりと天井を見ながら、たとえば「さっき時計を見た時は3時だったから、今は3時20分くらいなのではないだろうか」というような予想をして、時刻を確認するとその予想時刻のプラスマイナス3分くらいだったりするのだ。そしてその後、「さっきは3時20分だったから、今は4時40分くらいだろう」と予想するとこれまたけっこういいセンをいっている。自分のポテンシャルというものをある程度熟知している僕としては、これはかなり驚くべきことなのである。

僕の体内にあるセンサーの能力は、どいつもこいつもかなり低いのだ。
「さっき犬の散歩をはじめてから、もう何分くらい歩いているだろう」とか「ウチから一番近い郵便ポストまでは何メートルくらいあったっけ」とか、そういう目分量がまったくできないのである。だから犬の散歩をする時は時計を持参するのを忘れないようにしているし、陥落寸前のア・バオア・クーでアムロの声が聞こえてきても、僕は無事に脱出することはできずにどこかの通路で最期を迎えることになるのだろうなと覚悟をしている。

そもそも目には病気があるし、耳鳴りはするし、鼻筋は少し曲がっているし、意外と口も悪い。
前述したように体内のセンサーもあらかたポンコツだ。時間を計るセンサーについては状況によっては高精度になるということが今回わかったものの、それが「眠れない夜」のみなのであれば実質的にその精度の高さにはほぼ意味がない。
そういえばこないだ生まれて初めてギックリ腰になった。その上、外見的にもいまいちなデザインとしかいいようがない。

ああ、なんとも性能の低い部品でできあがった人間であることよ。
眠れぬ夜にそんなことをふと思う。
工夫とあきらめを駆使すれば、性能の低い人間でもまあまあ生きていけるということは、そこそこ長く生きていればなんとなくわかるものだ。とはいえ時々、このパーツ構成でずいぶんと長く生きてこれたものだなあ、と思うことがあって、たとえばそれは、今日みたいな誕生日の夜だったりする。