平熱通信

妄想癖、心配性、よそみがち。

もうそれは過去のこと。:『2001年宇宙の旅』70㎜版特別上映。

70㎜のフィルムで『2001年宇宙の旅』を観ることができるという特別上映会に行ってきた。

この作品がはじめて公開されたのは1968年で、僕はまだ生まれていない。その後何度か行われたリバイバル上映のどれかを観たのがたしか中学生の頃だ(その時は35㎜版が上映されたらしい)。以降数十年、劇場のスクリーンでこの作品を観たことはなかった。

大きなスクリーンと大きな音、という環境で観る『2001年宇宙の旅』はなかなかいいものだ。
今回はフィルムで上映されるというところが大きなウリのひとつになっているが、そこに目新しさを感じるほど若くはなく、ああこれはフィルムっぽい色合いかもなあ、という懐かしさに、しみじみとした気持ちになってしまった。むかしむかし、映画はだいたいフィルムで上映されるものであった。その感覚に違和感を感じない僕のような人間は今、どれくらいいるのだろうか。

今回の上映会はなかなかの話題になっていたようで、前売り券はあっという間に売り切れてしまい、数少ない当日券を買うためには、会場が開く前からの行列参加が必須であった。
朝から会場をくるりと取り巻くようにできている行列はなかなか目立つもので、そばのビルで何やら工事をしようとしていた業者の人が、行列を整理している会場職員にその行列の意味合いについて質問していた。それに対する職員の答えは、「映画の上映があるんです。『2001年世界の旅』」というもので、さすがにこれは僕の聞き間違いのような気がしないでもないが、ただまあ、なんといっても50年も前の作品なのである。「SF映画や名作映画に興味があるのならタイトルくらいは知っていてもおかしくはない」などと思ってしまうのはやや古い世代で、いくらそこが映画を上映する国立の施設だったとしても、とっさにタイトルを言い間違えてしまう職員がいてもおかしくはないのかもしれない。そもそも「2001年」という年自体、もはや過去のことではありませんか。

哲学的、とか、難解な、とか、そういう解説がよく似合う作品だし、特にはじめて観た時に受ける「オレはいったい、何を観たのだ」という衝撃は捨てがたい魅力ではあるのだが、今回の上映については、ただただ美しい映画として、眺めるように観た。
大音量で体内に届く音楽と、その反対側にある極端な静寂。赤、黄色、緑の宇宙服に、白い船外作業用ポッドのつるりとしたヒップライン。操作パネルの光があたるボーマン船長の顔はとても男前で、宇宙空間はどこまでも暗い。そして船長と共に僕たちは洪水のような光を体験する。

”My god! It's full of stars.”(すごい! 降るような星だ)

大げさな音響と、美しい映像をただただ「すげえすげえ」と楽しめばいいのではないか、というのが今回の感想だ。
何回目かの観賞だから、こういういい加減な感想が出てくるのかもしれない。
相変わらず、途中で何ヵ所かウトウトしてしまうし。

3時間弱の作品を観るために、朝の7時から3時間も並んだのだが、もちろんそれくらいの価値はある作品だ、というのは僕の偽らざる気持ちである。
しかし、僕の前で観ていた若い女の子が彼氏と思われる男の子に言っていた「途中で寝ちゃったのは悪かったと思ってるけど、たまに目を覚ましても画面には、宇宙、宇宙、宇宙。どんだけ宇宙を観せられるのよって思った」というのもなかなかいい感想だなあ、と思う。