平熱通信

妄想癖、心配性、よそみがち。

トイレ道。

ついさっきのことだ。
リビングにあるパソコンをいじっている時に、娘に、「トイレ入ってたよね。ウンチ目的で」と聞かれたのであった。
それはたしかにその通りだったので、そのように返事をしたところ、娘は、
「やはり、正解率100パーセントだ……」
とつぶやきつつ、ニヤリと笑ったのであった。

娘は、家族の誰かが(大きい方の用事で)トイレを使った後、その残り香で、それが誰の使用後なのかわかるらしい。

それを聞かされてたいそう驚いた様子の僕を見て、娘はたいそうご満悦のようだ。自分の鋭敏な嗅覚に、父親が驚愕していると思ったのだろう。
たしかに、そういう意味でもすげえな、とは思ったのだが、それよりもなによりも感心したのは、僕は今まで、家族の大便を嗅ぎ分けようと思ったことがなかったからなのだ。

僕にも、トイレに入った時に、ふと何者かの残り香を感じることはあった。一応、我が家のトイレにだって換気扇は付いているのだが、前の使用者と僕の使用するタイミングが近ければそれなりに香るものがある。
直近の排便の記憶を思い出しつつ、それらの香りに「個人差」のようなものがあるのかどうか思い出してみた。思い出した結果、脳内に展開されたかすかな記憶をもとに、僕が解析した結果はこうだ。

「あるような気もする、が」

あるような気もするが、よくわからない。
ふと思いついた疑問があったので、娘に聞いてみた。
「お父さんが在宅勤務になってから、家族三人、食事の内容はほぼ同じ内容になっているように思うんだけれど、それでも明確な差は現れるものなのでしょうか」
娘はちょっと困った顔をして、考えながらこう答えた。
「私は、違いがある、ということを知ったところからスタートしたから、差が出ないのでは、という発想で考えたことはないけれど、食べるものは同じでも、内蔵の調子や腸内環境はそれぞれだろうから、結果、臭いが変わる、ということはあるんじゃないかな」

腸内環境。

なんとなく本格的感のある言葉の登場だ。
しかし、そう言われればそうかもしれない、という気はする。

家族の大便後の残り香を嗅ぎ分ける能力。
なかなかすごいスキルのような気はするが、大きな声で自慢できるようなものではないかもしれない。秘められた能力、といったところだろうか。
秘められた能力。
この、なんとなくミステリアスな言葉の響きに魅せられて、つい、こんな質問をしてしまった。

「その能力は、練習すればお父さんでも身につけられるものでしょうか」

娘は、やれやれ、といった風に首を振り、
「さっきも言ったけど」と前置きをしてからこう言った。
「私は、違いがある、ということを知ったところからスタートしたから、ゼロからこのチカラを身につける方法はわからないけれど、難しいんじゃないかな、と思う。なんというか、私に遺伝子的に組み込まれたチカラ、なんじゃないかと思うんだよね」

その表情は、幼い子供に何かを諭すような、母性、という言葉が似合う優しげなものに変わっていた。いつの間にか、こういう表情をするようになったのだな、と思いつつ、まだオムツをしている頃、危なげな足取りで僕の後をちょこちょことついてくる娘の映像が脳内で突然再生され、成長ぶりにふと涙ぐみそうになる。
親はなくとも子は育つ、というくらいだから、親がポンコツでもそれなりに子は育つものなのだ。

それにしても。
遺伝子的に組み込まれたチカラ。
……とは、なかなか深遠なワードの登場だ。
娘は最後に、
「私は、お父さんとお母さんから遺伝子を受け継いでいるけど、お父さんは、お母さんと遺伝子的なつながりはないものね」
と言い残し、自分の部屋に戻っていった。
リビングに取り残された僕を哀れむように、いつの間にかそばに来ていた犬が、僕の足の甲のあたりをぴろぴろと舐めてくれた。

その他に娘から聞いた話としては、トイレットペーパーの芯を見て、触って、接着面からきれいにはがし、一枚の紙に戻してみたりすれば、それに巻かれていたトイレットペーパーそのものの質もだいたい想像がつくらしい。基本的には、トイレットペーパーの質と芯の質は比例しているそうだ。
今、娘は、芯を触ればだいたいそのトイレットペーパーがいくらで売られているものかわかるらしい。

意識的なのか無意識的なのかはわからないが、トイレに対する彼女の取り組み方に、なんとなく尋常ならざるものを感じなくもない。
ここはひとつ、親としてあたたかく見守ることにしよう。面白いから。