平熱通信

妄想癖、心配性、よそみがち。

夕焼け小焼けを聞きながら。

10月になって少し残念に思うのは、毎日夕方になるとどこからか聞こえてくるチャイムの時間が変わったことだ。
『夕焼け小焼け』のメロディにのせて、外で遊んでいる子供たちにはやく帰ることをうながすそのチャイムは、9月までは5時半に流れていたのだ。それはつまり、僕にとっては『夕焼け小焼け』が聞こえてくれば仕事を終わらせてよい、ということを意味するので、在宅勤務をするようになって以来、『夕焼け小焼け』を心待ちにしながら仕事をするようになってしまった。

その、僕にとっては終業のチャイムであった『夕焼け小焼け』が、10月からは4時半に流れるようになったのだ。秋になり、外が暗くなるのがはやくなってきたから、ということなのだろう。その時間変更について文句を言う気はまったくないのだが、ちょうどいい合図を失ったのはけっこう残念な気分ではある。

そういうわけで最近は、ついうっかりチャイムにつられて4時半にパソコンのスイッチを切らないように注意をしている毎日だ。自宅からリモート接続しているパソコンは、こちらからスイッチを切ることはできても入れることはできない。だから、もしも誤って4時半にスイッチを切ってしまった場合、会社に電話をして対処してもらうことになる。

「あ、すみません。今ちょっと、間違ってパソコンのスイッチを切ってしまって。ええ、定時まであと1時間あるのはわかっているんで、申し訳ないんですけど、スイッチを入れてもらいたいんですけど。え、なんで間違ったかって? それはあの、『夕焼け小焼け』が……」

……できれば避けたいシチュエーションだ。
3月になれば、チャイムはまた5時半に鳴るようになるらしい。その時、僕はまだ自宅で仕事をしているのだろうか、などと思いつつ、着々と進んでいく季節の進行に驚きながら、4時半のチャイムに慣れようとしている。

そんなある日、突然、我が家に蚊が出没したのだ。
蚊はまず夜半に娘の部屋にあらわれ、大騒ぎする娘とともに僕のいる寝室に移動し、ひとしきり僕と雑談した後に自分の部屋に戻った娘とコンビを解消した蚊は、そのまま寝室にいついてしまった。ちなみに娘はこの一連の行動を「誘導」と名付けていた。
蚊はしばらく耳障りな羽音をたてていたもののそのうちにそれは聞こえなくなり、朝になっても僕の体には刺された痕跡はなかった。ここ数日ですっかり涼しくなってしまったので、もう、蚊が活動するには過酷な環境だったのかもしれない。

中学だったか高校だったか、とにかくなんらかの学生だった頃以来、「蚊」について考えると連鎖的に思い出してしまうのが、

「すばらしい乳房だ蚊が居る」

という尾崎放哉の句だ。
中学だったか高校だったか、とにかくなんらかの学生だった頃、国語の教科書に載っていた、

「せきをしてもひとり」

という句で作者の名前と自由律俳句という言葉を知り、「自由律って、それじゃなんでもありじゃんか」などと思いつつも尾崎放哉の句集を図書館で借りて読んだことがある。「せきをしてもひとり」という句が僕の目玉を通して体に入ってきた時に抱いたなんとも言い難い思い、それはさみしいとかやるせないという言葉に近いような気がするけどちょっと違うような気もする、というなんとも処理しづらい気持ちが僕を図書館に向かわせたのだ。

尾崎放哉の句の代表的なものには、こういうものもある。

「墓のうらに廻る」

読後に押し寄せる落ち着かない気持ち。そして、両手で顔をおおいながら、「ああ、俺もうらに廻ってしまう。きっと墓のうらに廻ってしまうよ。なにかこう、そういう風情の墓を見かけたら、きっと雑草を踏み分けてうらに廻ってしまう。オレはきっと、そういう人間なんだ」と気づく。それは、これまで得たことのない感覚だ。

そして、挙句の果てにこれだ。

「すばらしい乳房だ蚊が居る」

中学だったか高校だったか、とにかくなんらかの学生だった頃の僕には、冒頭の「すばらしい乳房」というフレーズがすでに気持ちを落ち着かなくさせた。
「すばらしい乳房」とはなんなんだ。乳房というものはだいたいどれでもすばらしいものなのではないか。
ましてそこには蚊がいるのである。なんとも藪から棒に登場する蚊が、いったいどこにいるのだろう、ということを考えた瞬間、僕の頭はクラクラし、軽いめまいのような感覚に襲われたのではなかったか。

あれからずいぶん時間が経ち、僕もすっかり大人になってしまった。
「乳房というものはだいたいどれでもすばらしいものなのではないか」などと思っていたあの頃が、今となっては懐かしいやら恥ずかしいやら……などと大人ぶったことを書いてみたい気もするのだが、おそらくそのへんは自分でも唖然とするくらい成長していないような気がする。たとえば今、どのような形状、質感、色合いの乳房が目の前にぽーんとあらわれたとしても、僕はおおいにうろたえて「すすすすばらしい」などと口走ってしまうだろう(だいたい今、「ちぶさ」とキーを叩いているだけで少しどきどきしているのだ)。

他の人はどうかわからないが、少なくとも僕はそういう大人になっている。
そして今日も『夕焼け小焼け』を聞きながら、「あと一時間で仕事が終わる」などとつぶやいているのだ。