平熱通信

妄想癖、心配性、よそみがち。

夢みるように眠りたい。

日付が変わるその近辺、僕は会社でキーボードを叩いていた。
金曜夕方に出社して、土曜深夜に仕事が終わる。そういう時間帯でしかできない作業というものが時々あり、会社員ゆえにやれと言われればやるしかないのだが、いつも眠っている時間帯に仕事をするのはとても眠い。作業が終わるのはいわゆる丑三つ時あたりで、電車はもう動いていないからタクシーで帰る。タクシー代は会社に請求できるからあまり気にしなくてもいいことなのかもしれないが、深夜、タクシーで帰宅するとなかなかものすごい交通費になる。僕の日給よりも高いのではないだろうか。

結論からいうと、今回の作業はうまくいかなかった。深夜作業組の手際に問題はなかったのだが、金曜日中に行われた準備作業で、誰かがうっかりしたようなのだ。そのおかげで夕方の出社も深夜の作業もほぼ意味のないものになってしまった。仕事をしていればそういうこともあるし、タクシー代もちゃんと出るので落ち込んだり腹が立ったり「我が人生最悪の時」などと思ったりすることもないのだが、タクシーの中で「なんだかねえ」という気分にはなる。

帰宅してからシャワーを浴びて、ベッドの中で今日一日の出来事を犬に報告しながら眠ることになるのだろう。ぐっすりと眠れればいいのだがなかなかそうもいかず、眠ったり起きたりを細切れに繰り返し、週末の一日を半分くらい棒に振ってしまうのだ。こういう勤務の時はたいていそうなのである。
高速道路をひた走るタクシーの中からぼんやりとそんなことを考える。

深夜のタクシーに乗っていると、いつも以上に頭がぼんやりする。外から断続的に差し込んでくる白やオレンジの光や、足の下から低く小さく伝わってくる走行音の中で過ごしていると、現実世界から意識が少しだけ浮いていくような気配がある。頭の回転は眠気で遅くなっている。オレンジに照らされた手のひらを眺めたり、突然視界にぬーっと現れるトラックにびっくりしたりしながら、これはこれで悪くない気分だな、などと思ったりもする。

高速道路を走る車の中から外を見ると、時間がゆっくりと過ぎているように見えることがある。両脇にそびえるグレイの壁や、同じような速度で走る車が生み出すめりはりのない景色が、相対的に動きのない印象になってしまうのだろう。つまりこれが相対性理論ということだ。というのはもちろん嘘である。なにせぼんやりとした状態で思いついた冗談だ。内容がぼんやりとしてしまうのは仕方のないところだ。

ふと、今日が知人の誕生日であることを思い出す。
そうかそうか、もうそんな日が来たか、と、少し微笑みたいような気分になる。さきほどから頭の中に横たわっていた「なんだかねえ」という気分が、プラスマイナスゼロ、くらいに変化しそうな気がしてくる。
お祝いのLINEでもしようかな、などと思ったのだが、今が丑三つ時だということを思い出してやめた。お祝いのつもりで送ったメッセージでびっくりさせたら申し訳ない。いや、本当はちょっとびっくりさせてみたいような気もしないでもなかったのだが、そこはぐっとがまんしておいた。

丑三つ時に突然震えるスマートフォン。青ざめた顔でそれを手に取り、LINEを確認すると、送ってきたのは笑いながら時速100キロで移動する中年サラリーマン……。

リアルに想像すればするほど、怖いんだか面白いんだかよくわからない。
帰宅した後、ひとまず眠って、目が覚めたらお祝いのLINEを送ることにする。どうせその眠りは浅く、2時間とか3時間くらいで起きてしまうのだろうけど、せめて眠ってる間は、快適な、たとえば久しぶりにいい夢を見ることができたりしないものか、などと考える。

タクシーが高速を降りる。もうそろそろ、おなじみの景色が見えてくるはず。