平熱通信

妄想癖、心配性、よそみがち。

トイプードルは目をそらす。

一時期左前足を使わなくなっていた我が家の愛犬は、結局のところ病院に行った次の日くらいには4本足ドッグに復活し、その後はこれまで通り傍若無人にふるまい、あまりにもやんちゃが過ぎて飼い主にぎろりとにらまれた瞬間「おまえは新房昭之監督作品か」といいたくなるほど不自然な角度で首を曲げ、飼い主からなるべく目をそらすところまで元通りになった。
うっかりすると、どちらの足が動かなかったんだっけ、などと思う始末だ。まあ、元気になったのならそれでいいと思う。

しかし、ここまで明解に復調されると、つい「犬は仮病を使う」という説について考えてみたくなり、そうなると思うのは、もし仮病だったとしたらもっと大げさに演技をしてほしかった、ということだ。まあ、元気になったのならそれでいいと思っているのだが。

今後一切病気やケガをするなというのも難しい話ではあるので、せめて今回の通院が平成最後の通院になればいいのだが。

……いや、最近あちこちで目にする「平成最後の」という言い回しを使ってみただけのことで、特に深い意味はない。いわゆる便乗商法というやつだ(違いますね)。

ふと、僕個人が「平成最後の」というトッピング追加に値するエピソードを所持しているのだろうか、というようなことを考えてみたのだが、どうやらそれにふさわしいものは持っていないような気がする。まあ、どの程度のエピソードならそれにふさわしいのかよくわからないし、持ってないからといって今からあわててエピソード作りをする気もないのだが。

「平成最後の機種変更は、去年済ませました」

……というのはおそらく不正解なのだろう。
これをたとえば、

「平成最後の機種変更は、去年済ませました。そう、iPhoneにね」

……にしてみても特に事態は好転せず、せめて小粋な感じが出ればと思って追加した工夫も、おそらくは「だからなんだというのだ」という印象しか生み出さないだろう。

どうやら僕が「平成最後の」の使い方をマスターするのはもうしばらく先のことになりそうだ。せめて元号が変わる前には習得したいものである。
……とは書いてみたものの、本音をいえば、犬が元気になったのだから、このへんのことはわりとどうでもいいのである。