平熱通信

妄想癖、心配性、よそみがち。

Oh Shit!

とある駅で電車に乗ってきて、座っている僕の正面に立った男性に、

「クソが」

と言われる。
その時僕は本を読んでいたこともあって、彼がそのコメントを誰に対して発したのかわからないが、彼との距離感から考えて僕に向けてのメッセージである可能性は高い。

とはいえ。
「ああ、この場合のクソとは僕のことなのだな」
と素直に思えないのは、今まで、そういう風に誰かに呼ばれた記憶がないからだ。

とはいえ。
「クソ=自分」という可能性がある以上(いやな等式だな)、今の自分の状態にそう呼ばれる要因があるのかもしれない。もしそうだとしたらそれはなんだ。顔や姿かたちについてなのであれば大目に見てもらいたいところである。もしや、読んでいる文庫本のカバーに描いてある猫のイラストがいけないのか。おっさんが使うにしては可愛らしすぎるということで彼の怒りを買ったのか。
少し目線を上にあげれば彼の表情を見ることは可能なのだが、そもそも電車に乗り込むなり「クソが」などと発言するようなキャラクターの人を見るということにはそれなりに勇気が必要で、その時の僕には必要量の勇気の持ち合わせがなかったのだ。

そうこうしているうちに、彼は体を前後左右に揺らし、まさしく縦横無尽に「クソが」を連発しはじめた。
だからといって「クソは僕だけじゃなかった。ああよかった」というようにまとまる話ではないが、妙な連帯感のようなものをかすかに感じたのは事実だ。

しばらくして到着した駅で彼は何やらつぶやきながら降りていった。つぶやいている言葉の内容は聞き取れなかったが、おそらく「クソが」およびその類義語を放っているのではないだろうか。
彼がどこに向かおうとしているのかわからないが、行く先々で目に映るあれこれをクソ認定しながら歩くのだろうか。いつか彼が眠る時間になり、ふとんの中に入るときも、彼は自分をくるみこむそのふとんに向かって「クソが」と言いつつ目を閉じるのだろうか。