平熱通信

妄想癖、心配性、よそみがち。

ありえない世界は意外と近く。

ある日、歳の離れた同僚がこんなことを言ったのである。

「さすがにいい歳して、ジーパンにTシャツで外出とかありえないですよね」

9月とはいえまだ暑さの残る、そんな日のことであった。その時は会社からの帰り道で、駅に向かって歩いていたところである。お互いに上着は着ておらず、ワイシャツにノーネクタイという出で立ちだ。

僕の夏の過ごし方を真っ正面から全否定するような彼の発言にしばらく言葉が出てこなかった。そうか。20代男子の中では、Tシャツとジーンズでふらふらと外を歩いているような状態は「ありえない」世界のことになるのか。

僕の驚いた様子から何かを察した彼は、早口で「いやまあこういうのは世代が違えば見解も変わってくるもんですけどね」みたいなことをまくしたて、その話題はそこで終わりになった。会話の最後に彼は、「まあ、夏は暑いから、薄着のほうが楽っちゃ楽ですよね」という、なんらかの忖度が含まれたコメントを残したのであった。

今日、僕と彼はとある研修に参加した。
その研修に参加するにあたって、スーツを着ていく必要はなく、そうなれば当然、私服を着ていくことになる。その時にちらりと頭をよぎったのが彼の先日の発言であった。
もしかしたら、というか、かなり高い確率で、僕の装いは彼にとって「ありえない」ものに見えるのかもしれない。小雨が降っているから薄手のパーカーぐらい羽織って行くことになるとは思うのだが、気温から判断すれば中はTシャツくらいが快適だと思われるし、そもそも、彼にとって「ありえない」からといって、それはあくまで彼(もしくは彼らの世代)の側の問題で、ややざっくりした言い方をしてしまえば、僕にはあまり関係のないことだ。
とはいえ、あまりにも「ありえない」状態を目撃した彼が、そのショックの大きさで心臓麻痺などを起こしてもいけないので、Tシャツの選定にはそれなりに気を使い、愛用のスヌーピー柄を着ていくのはやめることにした。ちなみに、選んだほうのTシャツには熊のイラストが入っている。

ただ、今日は各自勝手に会場に向かい、勝手に受講して、勝手に帰るという日程になっていたので、研修中に彼に会うことは残念ながらなかった。

研修からの帰り道、「お疲れさまでした」という内容のLINEを彼に送ったところ、10分くらいしてから返信があった。それによると、研修終了直後に僕の姿を発見したらしいのだが、距離が遠かったので声はかけなかったとのこと。
はたしてこの彼のメッセージを、まるまる鵜呑みにしていいものか、議論がわかれるところだろう。
もしかしたら、「ありえない」ものを見てしまった彼はその場で気絶してしまい、我に返ったときには僕の姿を見失っていた……とは考えられないだろうか。