平熱通信

妄想癖、心配性、よそみがち。

おんぼろホログラム。

夢の中に、友人が登場した。
彼の顔を見るのは十数年ぶりのことだったので、それはそれは驚いた。

その昔、僕と彼はたいそう仲が良く、毎晩のようにインターネット上でチャットをしていた。会話の内容はほとんどが雑談だ。お互いの住んでいる場所は遠く、就いている仕事の業種も異なり、年齢も少し離れていた。あまり共通点がない分、縦横無尽に、純度の高い雑談をしていたと思う。

そういえば、いつものようにチャットをしていたある夜、彼に「チューしたい」と言われたことがある。
深夜の雑談が彼にとってとても大事な時間になっていて、その相手であるところの僕に対しての謝意を表明するための発言が「チューしたい」だったらしい。彼にとって、最大級の感謝の言葉は「チューしたい」なのだそうだ。その大胆な言葉選びのセンスにけっこう素直に感心した記憶がある。ちなみに、僕の人生の中において、「チューしたい」と言われたのは(男女関わらず)おそらくこれ一回きりである(なんだか自分の人生がとてもつまらないもののように思えてきた)。
僕にしてみても、彼との雑談は楽しみなものになっていて、そのひとときは、一日の最後の大事なイベントになっていた(まあ、「チューしたい」かどうかは置いておくとして)。

それなのに(というかなんというか)。

今、僕は、彼とのチャットをしていないのだ。もうずっと前から、である。
どうしてそういうことになってしまったのか、短く簡潔にきっちりと説明することができないのだが、事実として、そういうことになっている。僕がそうなるように希望したわけでもなく、インターネットが使えないようなところに引っ越したわけでもないのだが、いつの間にか、ふと気がつくと、そういうことになっていたのだ。
お互いの生活環境の変化とか、仕事や家庭の問題である期間チャットができない状況になったとか、そういう「雑談生活の危機」は何度かあり、その都度なんとかやり過ごしていたのだが、本当に、ふと気がついたら、そういうことになっていたのだ。

ふと気がついたら途切れていた、というくらいの人のつながりなんて、結局のところその程度のものだったのだ……というまとめ方もできなくはないと思う。

彼とはとあるオンライン・ゲームで出会い、意気投合し、ゲームの合間にチャットをするようになった。そのうちチャットの比重が多くなり、ゲームにログインしていなくてもチャットだけはする、という「雑談を主体とした関係」になった。一回の雑談の所要時間は数十分から数時間。実際に会ったことは一度しかない。たしか、お互いの住んでいる場所の中間地点がそのへんだった、というような理由で両国で待ち合わせをして、適当に選んだ居酒屋でちゃんこ鍋を食べたのだ。

今、僕はとりあえずそれなりに生きていて、とりあえずそれなりに生きていられるということは、彼との雑談は僕にとっての生活必需品ではなかったということだ。
彼と雑談をしていたチャットのサービスも、彼と出会うきっかけとなったオンライン・ゲームも今はなく、彼のメールアドレスも、電話番号も僕は知らない。思い起こしてみると、僕にはこういう細いつながりで成立している友人が何人かいて、その細いつながりの何本かは、「ふと気がついたら」とか「ついうっかりと」とかいう、理由にもならないような理由で切れてしまった。その本数はわずかなものではあるのだが、そもそも簡素な僕の交友関係の中でいえば、それなりの割合になるのかもしれない。

十数年ぶりに見た彼の顔は、解像度が低く、ところどころドット状に情報が欠落していた。それはまるでSF映画に出てくる質の悪いホログラムのようで、だからこそ僕は、ああ、これは夢なんだな、と瞬時に理解することができた。
彼は突然あらわれて、数秒後、じんわりとにじむように消えてしまった。どうして今日のこのタイミングで、僕はこんな夢を見たのだろう。人の脳のはたらきというものはほんとうに不思議だ。

ふと気がつけば途切れていた、というくらいの人のつながりなんて、結局のところその程度のものだった……というまとめ方もできなくはないと思う。

そうも思うのだけれど。

ではなぜ、目が覚めた時、僕はこんなにさみしい気持ちになったのだろう。
ほんの少しではあるけれど、泣きそうな気持ちになったのだろう。