平熱通信

妄想癖、心配性、よそみがち。

おめざと石鹸。

起床後、インスタント・コーヒーを作り、会社から持ってきた小さなチョコレートを食べる。いわゆるおめざというやつだ。おめざというのは、朝、目覚めたときに食べるお菓子のことで、子供のころ、福島県にあった父の実家に遊びに行くと毎朝祖母が出してくれた。祖母はわりと倹約家というか無駄遣いを嫌う性格というか、悪い言い方をするとケチなところがあったのだが、おめざについては毎朝きっちりと出してくれたような気がする。

起きぬけでまだ頭がぼんやりとしている状態で食べるお菓子は、甘味に刺激されて舌から目が覚めていくような、独特の味覚体験だったような気がする。昼間や夜に食べるお菓子ももちろん美味しいけれど、おめざにはまた別の、魅惑的といってもいいような甘さがあった。
おかげで僕の中での福島県は「お菓子が美味いところ」として刷り込まれてしまった。ああ、薄皮饅頭、エキソンパイ。

今朝食べたチョコレートは、どこかの会社の誰かがどこかに行ったときのお土産らしい。昼休みが終わり、自席に戻ったら置いてあったのだ。こういうことはわりとよくあって、そこに置かれた見慣れぬ小さきものを、誰から贈られたものか気にする人はあまりいない。これは、いくつかの会社の人間が同じフロアで作業をするという環境故の特徴なのかもしれない。席が近くてお土産のやりとりくらいはするけど、気軽に話しかけられるほど仲がいいわけではない、ということはよくあるのだ。

時々ふと思うのは、離席している間に置かれた物体を、特に躊躇なく食べてしまうという無防備さについてである。
国内で買ったと思われるお土産ならまだしも、それが海外のお土産で、ましてや英語圏のものではない場合など、パッケージに描かれたイラストだけでは中身の予想がつかないことがある。そういうお菓子はたいがい、包みを開けても正体がよくわからなくて、チョコレートにも焼き菓子にも見えないそれを口に入れてみて「なんだかわからないけどやたらとあまーい」などとつぶやいたりするのである。

小さくて可愛らしいパッケージでとてもいいにおいがするんだけど、実は中味は石鹸……というようなことがあったとしても、我々はとりあえず口に入れてしまうのだろう。
それはとても面白い光景だろうなあ、などと他人事のように思う。