平熱通信

妄想癖、心配性、よそみがち。

クリスマス含有率ゼロパーセント。

朝があまりにも寒くて、これはできればふとんから出たくないぞ、と思い、枕元に積んである文庫本を手に取った。

ここのところ、僕の枕元には文庫本やハードカバー、マンガの単行本が低く積んであり、規模的なことをいえば5冊積みのものが5つくらい雑多に並べてある。これはつまり読んでいる本を放置していたなれの果てというやつで、それほど広いベッドで寝ているわけでもないから本の積まれ方というかベッド占有率によっては就寝時の首や背骨の曲がり方に無理が生じることもしばしばだ。
どう考えても体にいい睡眠の体勢とはいえないが、僕という人間の根がポンコツなのでなかなか改まらない。

まあとにかく。
今日はできるだけベッドの中で過ごしたい、ということで、たまたま手に取った文庫本を読んで過ごすことにした。いわゆる終末ものの小説で、同じ町を舞台にした短編が8つ納められている。はじめて読んだのは10年以上前で、久々に読み返そうと思って枕元まで持ってきていたのだ。それ以来数ヶ月が経ち、今日、いよいよそれを読もうというのである。書いている僕がいうのもおかしな話だが、なんなんでしょうかこの全体に漂うだらしない感じは。

それはそれとして。
今日発覚した驚愕の事実としては、10年以上前に一度読んだきりとはいえ、天晴れなほどに本の内容を覚えていないのだ。
おかげで新鮮な気持ちで物語を楽しめるのだが、やや複雑な気持ちにもなる。そういえば父がそんな感じだったなあなどと、どうでもいいことを思い出したりもする。父の場合は、同じ映画を何回観ても、毎回同じところで笑い、驚き、泣けるのである。それも、気に入った映画だから内容はわかっていても同じところを楽しめる、ということではなく、観た映画の内容はおろか観たことすら覚えていないからなのだ。
子供の頃、そういう父の体質を知ったときにはけっこう心配になったものだが、もしかすると僕も今後、同じ道を歩むようになるのかもしれない。これが遺伝なのであれば、やな遺伝だな、と言うしかない。
まあ、なんにしても、クリスマス・イブにわざわざ書くような内容ではないのだが。