平熱通信

妄想癖、心配性、よそみがち。

「朝、目が覚めたらゆっくりと白湯を飲むことにしているんだ」

平日の朝は、起きるとまず電気ポットで湯を沸かして、それをずずずとすすることが多い。とにかく寒くて体を暖めたいもののコーヒーを作ることすらおっくうだ、という状況だからこそやっていることで、特にお湯が好きということもなければ「やっぱり最終的には国内の名水に戻ってくるよね」というような水マニアでもない。エアコンが部屋を暖めるまでの間、応急措置としてやっているというだけのことだ。

ところが、家族から聞いた話によると、お湯を飲むという行動はけっこう体にいいことらしい。どういう風にいいのかまでは家族も知らなかったのだが、とにかく、まあ、いいことなのだそうだ。

それはつまりどういうことかというと、朝、サムイサムイと呪文のようにつぶやきながら背を丸めて湯をすするというだけのこの行動は、

「朝、目が覚めたらゆっくりと白湯を飲むことにしているんだ」

と言い換えることでなにやらとても体のケアに気を使っているような、前向きな、大人っぽいアクティビティに昇格するということなのである。
……いや、そこまで言ってしまうと大げさなのだろうが、僕にしてみたら「体のケア」、「前向き」、「大人っぽい」のどれもが欠けている項目なので、ここは、

「朝、目が覚めたらゆっくりと白湯を飲むことにしているんだ」

を有効活用して、「実はそういうこともできる人間なんですよ」ということを外向きに発信してもいいかもしれない。どちらかというと「不健康」で「後ろ向き」で「中二病から抜け切れていない」自分について、まあ今さらしょうがないよな、と傍観しつつも、年に数回程度ではあるものの、現役JKの娘を持つ者としてそれはいかがなものか、と思うこともなくはないのである。

何度も繰り返して恐縮だが、

「朝、目が覚めたらゆっくりと白湯を飲むことにしているんだ」

は、僕が発する日本語としてはかなり大人度数が高いのではないだろうか。特に「ゆっくりと」というところと文末の「だ」にそこはかとなく大人っぽさが漂っているような気がする。
まあ、「ゆっくりと」も何も、そもそも猫舌なのでお湯いや違った白湯をすばやく飲めないというだけの話なのだが。