平熱通信

妄想癖、心配性、よそみがち。

ピョン吉以外の平面ガエル。

昨夜からの雨が降り続くようなこんな朝は、いつもより少しはやく玄関を出ることにしている。
傘をさすと晴れている日よりもはやく歩けないということもあるのだけれど、それよりもなによりも、カエルを警戒しないとならぬのだ。

僕の住む町には、雨が降るとカエルが出没する。
僕が住む場所は、いわゆる東京23区といわれるエリアではあるもののその北の端みたいなところにあり、都会っぽい繁華街とはほど遠いようなところになる。とはいえ、「いやあ、東京と言ってもひとたび都心を離れるとこんなに自然が残っているんですね。ほら、あそこには野鳥、足もとには蛇の通り道が」というほど緑あふれるところではなく、地面のほとんどはアスファルトだ。

だから、カエルが出没するといっても、せいぜい我が家から駅までの数分間の距離で一、二匹というところで、おそらく日頃は下水道あたりで生活しているカエルたちが、長引く雨に誘われてついふらふらと地上に現れる、ということなのだろうけど、そうは思いつつもそれなりに大きなカエルが路上に出現したりするとけっこう驚くものだ。
カエルについては特に好きとか嫌いとかいうような感情はないので、同じ町に住む仲間にとしてのカエルの存在に特に異議はないのだが、こういう朝に出会うカエルは、やっかい、というか、困った状態になっていることが多い。それはつまりどういうことかというと、こういう朝に出会うカエルのほとんどは轢死体なのだ。

カエルの世界に自殺という人生(人生?)の終わらせ方があれば別の話になるが、おそらく僕が見かけたことのあるカエルの亡骸は「心ならずも」とか「そんなつもりはなかったのに」という状況で事故にあったものなのだろう。そういうカエルたちに対しては気の毒な気持ちにもなるし、もしも天国というものがあるのなら、どうかそこに行けますようにとも思う。
ただ、それとはまったく次元というかレベル感の違う話として、「踏んでしまったらえらいことだ」という問題もあり、目のあまりよくない僕としては舗道をじろじろ見ながらおそるおそる歩くことになる。事故後それほど時間が経っていないカエルはそれなりに立体感もあり、ある程度距離のある状況でも「あ、あそこにカエルの仏様が」という認識ができるからまだいいのだが、事故後、現場に何回か(もしくは何十回か)車の往来があったということなんだろうなあ、と想像されるような状況になると、カエルはほとんどアスファルトと同化してしまい、なんというか、アスファルトにこびりついた模様みたいな状態になっていたりする。立体感が既に失われた状態になっているそれは、至近距離にならないと気付かないことが多く、これまで何回か遭遇した経験からいうと、目の前1メートルくらいの歩道にいきなりプレスされて伸ばされたカエルの模様が現れると、けっこうな大人であっても小さく叫んでしまうくらいのインパクトがある。

だからこそ注意深く歩く必要があるわけだが、これはつまり「カエルの轢死体を探しながら歩く」ということでもあり、ただでさえ会社に行かなければならない上にこんなはじまり方をする日にいいことなんてあるものか、やることなすこと失敗するに違いない、という確信のようなものが胸中に居座ることになる。

なんだかもう、書けば書くほどカエルのみなさまには申し訳ない気持ちになってくるのだが、人間を代表して言わせていただければ、雨の日に地上に出る時は、極力、自動車に気を付けていただきたい。
街灯の弱々しい光に照らされた薄暗い路地などに出現したあげく、びょーんとジャンプなどされたりするのも心臓停止級の衝撃があるのだが、この際それくらいは慣れることにする。人類を代表してそこは約束するので、ぜひとも自動車には気を付けて。
……というようなことを、カエルのみなさまに切にお願いする次第なのである。