平熱通信

妄想癖、心配性、よそみがち。

量販店のリップル・レーザー。

午前2時に目が覚めて、そのままなんとなく寝付けないまま朝を迎えてしまった。体は重く、頭もハッキリしない。要は心身ともに睡眠を求めている状態のはずなのだがどういうわけか眠れない。
基本的には「できることなら眠りたい」と思い続けているので、その(眠れないでいる)間は、特に何もせずぼんやりとしている。そして朝になって、「なんだかずいぶんと贅沢な時間の使い方をしちまったぜ」などと舌打ちをする。
原因はよくわからないけどそういうことはたまにあり、そういう日は一日ぼんやりと過ごすことになる。つまりは寝不足だからだ。

午後、奥さんに誘われて買い物に付き合うことにする。ヒマなら荷物持ちとして来てくれまいかというオーダーがあったのだ。頭がぼんやりとしていて特にやることも思いつかないので、のこのことついていくことにする。
奥さんの買い物は予定していたものがすべて購入できたわけではなかったらしく、結局のところ僕が持たされたのはドライヤーひとつであった。というか、結果的にドライヤー以外の買い物はしなかったのだ。ということはつまり、それを僕が持ち帰る必要がはたしてあったのかということを、これを書いてる今、ふと思いついた。確かに荷物持ちとして付いていったとはいえ、僕がドライヤーを運搬したということは奥さんは小さなリュックひとつの手ぶら状態で帰宅したはずだ。別にドライヤーひとつ持って歩くくらいどうということはないのだが、我が家を構成する人間の中では僕だけがドライヤーを使わないということが問題をやや複雑化しているかもしれない(もしくは、特に複雑な話ではないのかもしれない)。
ちなみに我が家を構成する人間以外、つまりウチの犬はドライヤーを使う。シャンプーした時に毛を乾かすために使用するのだ。わざわざ書かなくてもいいことかもしれないが、実際にドライヤーを使用するのは飼い主で、犬は「台風が行き過ぎるのをじっと待っています」とでもいうような、不安と緊張が入り交じったようなオーラを発散させつつ体を固くして温風をあびている。

それにしても。
僕は今までずいぶんとドライヤーというものについて関心を払わなかったようなのである。
僕の中のドライヤー像とは、500ミリリットル缶くらいの円柱に持ち手が付いたような形をしていて、円柱の先端部分から熱風なり冷風が「ぶおー(熱風)」とか「ふぉー(冷風)」とかいう音を立てて吹き出すものだったのだ。
今回、電器店の売り場に並ぶドライヤーをまじまじと見て思ったのは、「なんだかちょっとかっこいいことになっている」ということで、低価格帯のものは僕が抱いていたドライヤー像にかなり近いものなのだが、少しお値段お高めのモデルになると「これはどちらかというと光線銃なのではないか」というようなデザインのものがあったりする。

奥さんがドライヤーを選んでいる最中、ぶらぶらと売り場を歩いていて、たまたま視界に入った1台に思わず見入ってしまった。
それは全体的に流線型で、そもそもサイズが他のモデルよりもひとまわりくらい大きい。先端部には大小あわせて3つの口が開いていて、いちばん大きな口は熱風(もしくは冷風)の噴出口なのだろうが、あとのふたつからは何が出てくるのか予想もつかない。そのデザインの印象を大さっぱにまとめると「60年代のSF映画に登場する、リング状のレーザー光線が発射される銃」という感じで、「これはちょっと、いい感じに構えてみたいぞ」と思わずにはいられないアイテムなのであった。

ドライヤーの前で腕組みしながらそんなことを考えていたので、店員さんに突然、「よろしければこちらのコンセントでご試用できますよ」と声をかけられたときには非常に驚いた。店員さんに「はああん、この人、この最新高級ドライヤーを光線銃のようにいい感じに構えたいのね」というように見透かされてしまったような気がしたのだ。

ということで、「そんなことありません!」と微妙(でも強め)な返答をされた店員さんには少し悪いことをしたかもしれないなあ、と思う。