平熱通信

妄想癖、心配性、よそみがち。

おそいしはやいしこわがってるし。

図書館というところの何がやっかいかって、あそこには、本がたくさんあるのである。

世の中に存在する本の大半を僕は知らない。大きな書店とか図書館に行くとそれがよくわかる。世界には、僕の知らない本がたくさんあるし、ということは、僕の知らないことや知らない言葉もたくさんあるということだ。当たり前といえば当たり前のその事実は、どういうわけか僕を安心させる。

本がたくさんあるところを歩いていると、面白そうな本があちらこちらに出没する。なにせここにある本のほとんどを僕は知らないのだ。まだ見ぬ素敵な本に出合う確率は相当高い。

であるからこそ、やっとの思いで読み終えた分厚い本を期限ぎりぎりに返却し、「ここしばらくは他にやらねばならぬこともあるので、本を借りるのはやめておこう」などと固く決意して自宅を出たはずなのに、ふと気が付くとまたそこそこ厚い本を借りてしまったりするのだ。それのどこに問題があるのかというと、とにもかくにも僕は本を読むのが遅いのである。本を読むことばかりに時間を割いてしまうと、他にやらないといけないことが滞ってしまうのだ。

僕は本を読むのがけっこう遅い。
そういえば、僕は走るのも遅いし、人の名前を覚えたりするのも遅い。おおざっぱにいうと、時間がかかることがよくないこととされるものは大概遅いような気がする。
半面、「はやい」のがよくなかったり、あきれられたりするようなことは、残念ながらはやめになってしまうことが多いようだ。人よりはやく食事を終わらせては「もっとゆっくり食べないと体によくないよ」などとたしなめられたりするし、健康診断の一環として行われる「目を閉じた状態で片足立ちをして何秒持ちますか」測定も、担当の係の人がびっくりするくらいはやく終了させることができる。

これまでの人生を振り返ると、はるか昔に「頭の回転がはやい」とか「じっくりとあきらめず取り組むことができる」というようなことを言われたような記憶もないではないのだが、今になって思うとそれは、これといってほめるところのない生徒を評価する苦肉の策だったような気がする。あれは、目に見えにくい部分をほめることで、その評価の正当性をぼやかしていたのではないだろうか。たぶん。

特に自分を卑下したいわけでも、自虐的なことを書きたいわけでもなく、素直にシンプルに、速度に関することでほめられたことを思い出せないのだ。そういう観点ではほめるところのない人間なのか、それとも何か見逃しているところがあるのか、今後の人生の中で、たまに考えてみることにしよう。

ところで、今回借りてきた本は単行本サイズで500ページほどの中編小説二本立てである。三連休でなるべくページ数を稼ぎたいところだったのだが、やはりというかなんというか、台風に気持ちを持っていかれてなかなかそうもいかなかった。
もっとも、僕と僕の家族の住むマンションは、幸いにもこれといった被害にあうことはなかった。僕の住む町という意味でいえば特別警報が発令されたりはしたのだが、僕(とその家族)に関しては、どこかに避難することもなく、思いつくだけの対策をして、部屋の中で台風が頭上を通り越していくのをじっと待っていればよかった。

大きな音と強風とともに、長く強く雨が降り続けるということがここまで怖いとは思わなかった。
いや、そういうことをまったく想像していなかったわけではなかったのだが、実際に受けた思いはそれを上回るものであった。

さっきも書いたように、僕の住む場所は大きな被害には会わなかった。台風が過ぎたあと、たとえば週明けに出社したときに、「思ったよりたいしたことなかったね」というようなことを言う人もいるのだろうなあとは思うものの、それでもあの一晩は、僕にとってはなかなか怖いものであった。
僕は、本を読むのがけっこう遅い上に、けっこうな怖がりなのである。

不思議なのは、年齢を重ねるにしたがって、どんどん怖がりの度数が上がっているということだ。子供の頃は、大人になれば怖いものは減っていくと思っていたのだが、どうやらそういうものではないようなのである。そういえば、我が家でいちばん怖がり度数が低いのはあきらかに娘である。もしかすると「加齢による怖がり度数の増加」は、ある程度一般的なものなのかもしれない。

何かを怖がっている時は、なにせ怖い思いをしているわけで、そんな時間はないほうがいいに決まっている。ただ、もしも自分が怖いもの知らずの人間になったとしたら……などと想像してみても、その光景がうまく頭に浮かばない。
自分を構成する部品の性能をざっと点検してみると、どうも「怖いもの知らず」は向いていないんじゃないかという気もする。

向いていないものは仕方ない、というわけで、今後もずっと、おどおどと巣穴から顔を出し、あちこちをキョロキョロして無事を確かめる、というような生き方をしていくのだろうなあ、などと思いながら、とりあえず二日ぶりに恋愛小説のページをめくってみた。