平熱通信

妄想癖、心配性、よそみがち。

君の名は。

ある映画のフィルム修復費用を調達するためのクラウドファンディングに参加していたのだが、どうやら無事に資金調達に成功したらしい。
僕が参加したのは金額でいうと安いほうから二番目の支援プランである。僕があまり躊躇せずに出せるくらいの、かなりのお手頃価格だ。支援のごほうびとして、修復後のフィルムのエンドクレジットに名前が載るという。

昨日の娘との雑談の中で、クラウドファンディングが成功し、エンドクレジットに載せる名前の登録を求めるメールが来た、というような話をしたところ、やや予想外の反応があった。

「で、本名を載せるの?」

と、娘は聞いてきたのである。
なんとなく、というか、特にこれという深い考えがあったわけではないのだが、本名で登録しようと思っていた僕はその旨を伝えると、娘は、実際に見たある景色について教えてくれた。

それはとある映像作品を娘が見たときの話だ。その作品は、制作費の一部をクラウドファンディングで調達したものであった。支援者へのごほうびはエンドクレジットへの名前の記載。今回の僕のケースと似た状況だ。
作品が終わり、エンドクレジットにスタッフ、キャストの名前が表示され、クラウドファンディングに参加した人たちの名前が表示される番になった。画面下から上へとゆっくりスクロールする画面に、数百人分の名前がびっしりと記載されている。
娘が言うには、そこに表示される名前のほとんどが、アルファベットやひらがなやカタカナ、記号を組み合わせたものだったらしい。要は、ツイッターのアカウントやインターネット上のハンドルネームと思われるものがほとんどで、漢字数文字からなる名字と名前の組み合わせによる氏名表記はほとんどなかったというのだ。インターネット上の支援活動であるクラウドファンディングならではの光景なのかもしれない。
そういう状態の画面を数分見ていると、漢字による氏名表記のほうに違和感を感じるようになるそうで、最終的には漢字の名前が出てくると笑いがこみ上げるようになったらしい。

「ま、悪目立ちしないように気をつけて」

娘はそう言ってその会話を終わらせた。
悪目立ちという言葉はこういう時に使うものではないような気がするが、なんにせよ過剰に目立つのは好みではない。自分の本名が目立ってしまうという状況を回避する為に、このサイトで使用しているペンネームを登録するという手もあるが、平川水鳥というペンネームも漢字で構成されている以上「目立つほう」の名前にはなるだろう。そもそも僕にとってペンネームは文章を書く時の名前で、古い映画を支援する時に使うものではない(個人の見解です)。この映画をはじめて観たのはもう数十年前の事になるのだけれど、その時は平川水鳥など存在していなかったのだ。

だからといって今さら新しい名前を考えるのもちょっと違うような気がする。たとえば、「へいねつP」とか「へい☆にゃん」とか名乗ったところで、その名前が脳に定着するまで覚えていられる自信がない。

過剰に目立つのがそんなに嫌ならば、いっそ名前など載せなければいい、という選択肢もなくはないが、僕にとってここに載せる名前は、他人に見せるためのものではなく、自分で確認するためのものなのだ。なんというかそれは、お気に入りの手帳や万年筆に名入れをするのと同じ種類のものなのである(いやまあ、万年筆に名入れなんかしたことないんですけど)。
お気に入りの映画に名前を入れる機会などそうそうないだろうから、やはりなんらかの名前を載せたいのだ。

いろいろ考えた結果、支援した映画そのものがかなり古い作品なので、それを応援する人たちの平均年齢も高めなのではなかろうか、という推測のもと、エンドクレジットに載る名前は本名率が高いハズ、という予測に至り、ということで今回は本名で登録することにした。

今回の件は、映画のエンドクレジットに載せる名前についての話なので、そこからこういうことを言い出すのも大げさなような気はするが、世の中に表明する自分の名前が本名やいわゆる 「名字+名前」形式である必要はなく、たとえば自分で考えた数文字のひらがなによるものであっても別にかまわないのである。
性格的なものなのか世代的なものなのかわからないが、個人的には「名字+名前」形式を採用してしまうのだが、今はまだ(場面によっては目立つかもしれないけど)ペンネームとして成立している名前が、いつか、

「わ、平川水鳥て。漢字4文字も使ってるwwwww。平成かよ」

などと言われることもあるのかもしれない。それはそれで面白いことのような気がする。