平熱通信

妄想癖、心配性、よそみがち。

ミニマルおでんと揚げ玉ごはん。

ちょっとした事情があり、週末から奥さんが実家に帰っている。
それ以来、食事の支度は娘が行っており、今まであまり台所に立ったことのなかった当人としてはなかなかチャレンジングな日々を送っているようだ。
僕としては味わいや固さに多少の難があってもそのすべてを個性と見なす用意はできていて、テーブルに何が出てこようが完食するつもりでいる。「一番好きな食べ物はグミキャンディ」と公言する娘が作る食事という時点で興味津々なのである。

それはいいのだが。

ここ数日、娘が用意したものを食べていてわかったことがあり、とにかく材料費をケチるのだ。どうも娘と母親の間では密約が交わされていて、あらかじめ渡された食費が母親の帰還時に余っていたら、その残金については娘のものにしていいということになっているようなのだ。

「今晩はおでんにしようと思うんだけど、具が最低いくつあればおでんと見なす?」
という質問をされたので、「シェフのおまかせでお願いします」と答えてみた。今まであまり考えたことのない問題だったので即答できなかったというのもあるが、娘が思うところの「食事としてのおでん」の最低単位を見てみたいという気持ちも強かった。
たとえば和風の汁でよく煮込まれた大根が一切れ皿に載っていて、「これはおでんです」と言われればそれはそうなのかもしれないが、食事として考えた場合少しさみしいかもしれない。では、具がいくつあれば「食事としてのおでん」になるのだろうか。
娘が出した答えは、3であった。
ゆで卵と、それと同じくらいの大きさに丸められたしらたき、そしてちくわぶ。
「がんもどきを入れるかどうか迷ったんだけど、諸般の事情でやめました」
というのが、おでんに添えられた娘のコメントである。正直、僕の感覚からするともう少しボリュームがあったほうがいいような気はするが、ちくわぶが入っていたからよし、ということにした。僕はちくわぶが大好きなのだが、それが故に変わった人扱いされることがたまにあり、とても残念に思っている。そしてその遺伝子はしっかりと娘に受け継がれているのだ。

娘がはじめて煮たおでんは、びっくりするくらい味が薄く、食べているうちにふたりで笑いが止まらなくなった。娘はご飯におでんの汁をじゃぶじゃぶとかけて、それに市販の揚げ玉をかけるという発明をした。おでんの遺伝子がかすかに受け継がれだそれは「今晩食べたもので一番美味かった」そうだ。