平熱通信

妄想癖、心配性、よそみがち。

新元号には「平熱」希望。

毎日こつこつと、頭に浮かぶ「わりとどうでもいいことだけど少しは面白いこと」を文章にしているのだが、一向にバズる気配もなく、そもそも何をどれだけ書いても1円の得にもならないこのブログにけっこうな時間を割いているという現実を思うと心底しんどい気持ちになる。

……というような文章をエイプリルフールに向けて書き始めたのだが、愉快な嘘がうまく思いつけなかったので中断した。どうにもこうにもここのところ、言葉が出てこなくなってきているのである。ネタがなくなったのが原因というわけでもなく、やる気スイッチがオフになってしまったというわけでもない。なにか思いついて頭の中の引き出しを開けてみても、それを文章にするための言葉が在庫切れになっている、という感覚なのだ。はてさてこれはどういうことだ、とうとう僕の中の何かが枯渇してしまったのか、などと思いつつ、しばらく様子を見てみることにした。「様子をみることにした」というような書き方をするとなんとなくのん気な雰囲気が漂うが、これといって打つ手がないというだけの話だ。

文章を書くことが困難になっても、社会人としての僕の役割にそれほど影響は出ないはずだ。しょうもないダジャレや言葉遊びが思いつかなくなっても家族や会社に迷惑をかけることはないし、雑文が書けなくなるからといって死ぬわけじゃない。ただ、人間、死ななければいいのかというとそうでもないような気はする。

週末は、散歩をして、パソコンに保存してある落語を聞いて、カップうどんにスマートフォンをかざしてふたの上に吉岡里帆を出現させたりして過ごす。そういえば、本を読もうという気持ちは起きなかった。
ふと、この時期特有の、何かが終わることへのさみしさと、何かがはじまることへの不安が、僕のコンディションに影響を与えているのかなと思ったりする。ちょっと繊細な感じがして、なかなかいい仮説のような気はするが、僕の脳内会議出席者が全員一致で否決したのであった。

ところで4月1日といえば、新元号の発表がある。
その時に、発表者がエイプリルフール的な冗談とか言ったら面白いのになあ、などとつい思う。