平熱通信

妄想癖、心配性、よそみがち。

クラムボンはわらったよ。

最近はなにもしていない。

本も読まず、録画していた映画やアニメを観ることもない。
本来そういうことをするために用意している時間、つまり、自分が裁量権をフルに行使できる時間は、なんとなくぼんやりとしたり、テキトーに携帯をいじったりしている。で、Twitterの画面をすいすいと飛ばしながら、流れていく言葉をこれだけ眺めているのに見事なくらい頭に入らないものだな、とか思うのだ。そういえば、ささやかな趣味である雑文書きもほとんどしていない。なにかをしたいという気持ちにならないのだ。わりと自然に、無理もなく。

ただただだらだらと流れていく時間がもったいない、というようには(今のところ)思っていない。もともとそういうふうに考えるタイプの人間でもないのだけれど、それにしても今回の「なにもしない期」は長い。長すぎる(十万石まんじゅう)。とりあえず、僕の脳内で僕の行動全般を管理統制している委員たちからは「ここまで長いとさすがに心配なのではないだろうか」というような声は上がっていないようだ。委員たちは「やれやれ」という感じで顔を見合わせ、「まあ、生きてりゃそういうこともある」というふうに納得しているのかもしれない(もしくは、あきらめているのかもしれない)。会社に行かなくなったとか、家族との生活を放棄したとか、そういう問題が発生しているわけでもない。上等とは言えないかもしれないが、とりあえず社会人としての生活はできているのだから、まあいいだろう、というところなのかもしれない。

そういう調子で4月という月を過ごしていたのだが、いわゆる音楽フェスには行った。先月だか先々月だかにチケットを買ってあったのである。
クラムボンはかぷかぷとわらい、銀河鉄道が頭上を走るという、コンパクトな、なかなかいいフェスだったと思う。大きな音で生の音楽を浴びながら、ちびちびとレモンハイを飲むのはとてもいい気分であった。

音楽が僕の薄いコートを細かく震わせる。僕はそれに合わせて左右に体を動かしたりする。 体に音楽がぶつかって、体内をすり抜けるたびに、あちこちにある目詰まりのようなところから何かが落ちる気配があった。まるで、地球上のどこに行くときにも着ていてかれこれ数十年着っぱなしになっていた一張羅の上着をばさばさとはためかせた時のように、体が揺れるたびにホコリのようなものが宙に舞った。これはもちろん比喩的表現というやつなので、僕のまわりの席の人たちには迷惑はかけていない(はずだ)。

フェスが終わると、とうとう僕は空になったような気持ちになった。
もちろんすべてではないのだけれど、僕の中にある棚のいくつかが空っぽになってしまったような感触がある。こういう状態をすぐさま「リセット」とか「リフレッシュ」とか言えてしまうような性格でもないので、なにもない状態は心もとなく、不安でもある。
ただ、体は少し軽くなった。