インターネットをふらふらとさまよっていると、さまざまな人が書いたさまざまな言葉に出会うことになり、それらを読んでいると、世の中には、うまいことを言いたい人がとても多いんだなあ、ということをしみじみと思う。
……いや、うまいことを言いたい、というのは少し違うのかもしれない。「自分の気分がよくなることを言いたい」というほうが近いだろうか。上手なたとえ話や言い回しを考案することを楽しむ人もいれば、ひたすらゆるい雰囲気を醸す人もいるし、誰かをやっつけるための強い言葉を追求する人もいたりして、とにかくまあ、世の中には、「こういう風に書ければいいな」と思いながら言葉を発している人がわりとたくさんいるようなのだ。
インターネットの片隅でこのような文章をこつこつと書いている僕も当然その中のひとりで、日々、液晶画面に並べた言葉をふむふむと眺め、「今回はなかなか惜しかった」とか「まあ、努力は認めよう」とか考えたりしている。「やや、もしかするとコレはかなりよいのでは」みたいなことを思うことはほとんどなく、ややもすると「明日は明日の風が吹くさ」などとつぶやきながらうつむいて液晶画面をオフにしたりもする。
それはそれとして。
インターネットをさまよっていると、ちょいちょいと出くわすのが「もめている人たち」で、そこにはさまざまな言葉を駆使して戦う人たちがいる。僕は元来とても臆病で、気も小さければ器も小さく肝心なときに限って声も小さいような人間で、できればいっさいの「もめてるもの」や「もめそうなもの」からは離れて生活していきたいと思う者なのだが、ネットのもめごとについては、どういうわけか、たまーに「ついつい見てしまう」ということがある。
それほど面白いと思って見ているわけでもないような気がするのだが、ふと気づくと「単純な侮蔑の言葉をくり返すだけでもなかなか殺傷能力があるものだなあ」とか「なにもよりにもよってそんなことを言わなくてもいいのになあ」などと思ったりしながら「もめごとウォッチ」をしていたりする。時には「そういえば、昨日の続きはどうなったのだろう」などと思うこともあったりして、これではまるで連載小説の読者である。
ネットのもめごとが僕の心を引っぱりこむ理由についてざっくりと考えてみると、そのキーワードは、「自信満々」ということになるのかもしれない。
ネットでもめている人たちの中には少なからず「自信満々の人」がいる。「自信満々の人」は、自信満々に、迷いなく揺るぎなく言葉を放つのである。その言葉は、ある時にはダイレクトに突き刺さり、またある時は真綿で首を絞めるように体力を奪う。なんといっても「自信満々」なのである。自信満々に放たれた言葉は強度が違うのだ。自信があるというだけでもたいしたものなのに、それが満々なのだからもう大変だ。
そういう人たちには僕にはない力があり、そういう人たちの言葉は、僕のような人生万事あんまし自信なし、というような人間を強く引っぱるのかもしれない。
この世界を埋めつくすさまざまなモノゴトにささっと白黒付けられずにいるような僕の頭の中は、たぶん壁も天井も床も薄いグレーの部屋のようになっていて、同じ色合いの椅子に座った僕は両手で顔を覆い、少し広げられた人差し指と中指の間から窓の外の喧騒を「ひょえー」とか言いながら眺めている。窓の外では勢いよく迷いなく言葉がぼんぼんと飛び交い、それらの言葉は何かをきりりと断定し、背景は白くなったり黒くなったり忙しくチカチカと明滅している。
ずばりずばりと言い切ることの勢いのよさにあてられて、ふと振り返り部屋の中を見ると、僕のテーブルの上にはいろいろなモノゴトが散らばっていて、それは僕が選んでテーブルに載せたものには違いないのだけれど、その中にはひとくちではうまく説明することができないものもけっこうあったりする。僕が断言したり断定したりできることなんて、あまりないような気がするのだ。
……というようなことを書いておくと、なんとなく「うまいこと言った」感じになるだろうか。もしそうだとしたらしめたものだぞ、などと思いつつ、やはりそんなに自信はない。