平熱通信

妄想癖、心配性、よそみがち。

やぶけたジーンズ穿き続けていいのか問題。

犬と散歩をしている途中、履いていたジーンズがやぶけた。
我が愛犬にとって散歩時の必須最優先ミッションであるところの排泄行為が終わり、「本日の作品(朝の部)」をピックアップしようとしゃがんだはずみで、左の膝部分がびりりと裂けたのである。もう何年も穿いているものなので、まあ仕方ないとは思う。
その時まず思ったのが、裂けたのが膝でよかった、ということで、これが別の部分であったらやや面倒くさいことになっていただろう。

ところで、パンツ……といっても下着ではないほうのパンツというものは意外と股が裂けやすいような気がするのだ。
日頃、股に負荷をかけるような生活をしているわけではないと思っているのだが、それでも何年かに一度、履いているパンツの股が裂ける。「何年かに一度」であれば頻度としては高くないともいえるのだが、学生時代にしても就職してからも、事件はなぜか外出中に起きていて、それが起きた日はなかなかハードな一日になるのが常である。
個人的に不思議なのは、頻度は低いもののいつかは確実に起きるというこの厄災について、僕以外の人間が語っているのを聞いたことがないということだ。なにかの機会にこの手のエピソードを披露しても笑われるだけで、「ああ、あるよね、時々」みたいな話をしてくれた人はひとりもいない。みんな恥ずかしくてナイショにしているのか、それとも僕が股を裂きやすい体質なのか、今のところは謎のままだ。

それはさておき。
膝が裂けたジーンズを、このまま穿き続けてもいいものなのだろうか。
……という迷いのようなものが、朝の事件以来、心の片隅にひっかかっているのだ。
ジーンズについてこんなことを考えたのははじめてで、今までは迷いもせずに「多少ぼろっちくなってもそれはそれで味」とばかりに着用を続けていたのである。
今回このような迷いが生じたのは、間違いなく加齢が原因で、簡単にいえば、「オレ、この歳になって、やぶけたジーンズ穿いてていいのかしら」という風に思ってしまったのである。
加齢とは、ある意味では生き物として発する勢いのようなものが弱くなることでもある。そういう勢いがない人間がやぶけたジーンズを穿いたりすると、みすぼらしく見えないだろうか。もはや自分は、やぶけたジーンズが日常的な衣料として成立しないところにきているのではないだろうか。

とはいえ、結局のところ僕は、この件について「まあ、もうしばらくは大丈夫でしょう。根拠は特にないけど」などとつぶやきつつ、若干やぶけたジーンズを穿き続けることになるのだろうが、なんとなく面白かったのは、そういうことを、けっこういきなり思ったことなのである。

やぶけたジーンズを穿いたり、『ゴーストバスターズ』のイラストが入ったTシャツを着たり、無駄に大きなヘッドフォンをして通勤したりすることについて、自分くらいの年齢の人間がそれを採用するのはいかがなものか。
そういうことが今朝から急に気になってきたのである。この心境の変化にどんな意味があるのか、我ながら興味津々だ。