平熱通信

妄想癖、心配性、よそみがち。

それはまるで物語のような。

僕の住む町から一番近い繁華街に新しくできた映画館に行ってみる。
なんでも国内最大級のスクリーンが自慢なのだそうだ。この映画が観たい、というより、その映画館の巨大スクリーンを見てみたい、という動機で上映スケジュールを確認してみると、たまたまそのスクリーンで公開される作品がちょっと興味のあるものだったので、それを観ることにする。

劇場の入り口のところで、係のお姉さんからポスターをもらう。来場者特典というやつなのだろうが、そういう特典があることを知らなかったのでちょっと得した気分になる。映画を観終わった時にはじめて、2時間半を超えるけっこうな長編であることを知ったような有様なのである。突然手渡されたポスターにびっくりして、お姉さんに「え、いいんですか。普通の料金しか払ってないですけど」などと言ってしまっても仕方がないというものだ。ちなみにお姉さんはちょっといたずらっぽい笑顔を浮かべて、こう言ったのであった。
「も・ち・ろ・ん・です! 本日はお越しいただきありがとうございます!」

座席に座ってから丸められたポスターを広げてみる。
レオ様とブラピの写ったポスターを自分のものとして手に入れるのははじめてだ。これをリビングの壁あたりに貼ったら家族はどう言うだろう。とりあえず娘にはレオ様とブラピの説明をする必要があるかもしれない。

クエンティン・タランティーノの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』という、「監督名も作品名も長すぎやしないか」と思わなくもない映画に付けられたキャッチコピーは、「ラスト13分。タランティーノがハリウッドの闇に奇跡を起こす。」というものだ。このコピーを知ったのが映画を観た後でよかったと思う。もしも先に知っていたら、「ラストに何か奇跡的なことがあるのだな」と身構えてしまうところだった。
物語に大詰め感が出てきた頃、一挙手一投足について「これが奇跡か」、「いやむしろこちらが奇跡かも」などと凝視されては、レオ様もブラピも演技に集中できないだろう。

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』という映画について僕が抱いた感想は、「可愛らしい」とか「愛らしい」とか、そういう意味合いのものになる。ただ、もしかするとこれは、相当に「個人の見解です」という類の感想になるのかもしれない。どこがどう可愛らしくて愛らしいのか、うまく説明はできないのだけれど、なんとも可愛らしく愛らしい物語だなあ、と思ったのだ。映画のような映画。物語のような物語。物語のような映画。映画のような物語。
あと、これはぜひ書いておきたいことなのだけれど、この映画に出てくるマーゴット・ロビーはとても可愛らしく愛らしかった。これについては逆に説明不要というか、(おそらく)誰だって観たらわかる、という類の感想だ。

話は少し変わるのだけれど、映画を観終わって帰宅した後、僕の住むマンションが火事になった。
鳴り響く火災報知器の音を聞き、続々と集まってくる消防車の赤いランプを見ながら、なんだか物語の中にいるみたいだ、と思ったのであった。