平熱通信

妄想癖、心配性、よそみがち。

中年サラリーマンが足を触られるとはどういうことなのか。

会社からの帰り道、通勤電車の中で、隣に座っていたおじいさんに足を触られる。

もう少し詳しく書くと、それまでずっとうつらうつらと眠っていたおじいさんがふと目を覚まし、突然、僕の足を触ったのである。その電車に僕が乗ったとき、おじいさんはロングシートの端で既に眠っていて、その隣が空いていたのでそこに座ったのだ。なにせ隣なので、おじいさんが寝ているのか起きたのかくらいは気配でわかる。ちなみに僕はおじいさんの右隣に座っていたので、おじいさんが触った足は僕の左足になる。

おじいさんは、まず僕のひざ頭をぽんぽんと二回ほど軽く叩き、続けて太ももをひざ上10センチ分くらいすりすりと撫でて、それから手を離し、自分のひざの上に置いた。その間はずっと無言で、僕としても突然の事態に言葉を発することも行動を起こすこともできず、しばし張り詰めたような空気の中でフリーズしていた。もしかしたら、その間は呼吸も止まっていたかもしれない。

たまたま次の停車駅が僕の降りる駅だったので、壊れかけたロボットのようなギクシャクとした動きで電車を降りた。同じ駅でおじいさんも降りてきたらどうしよう、というような不安を感じ、何回か振り返ったがそれらしい人は降りてこなかった。

……以上がその事件の顛末になる。こうして書いてみると、それだけっちゃそれだけの話のように思えなくもないが、あの時は本当に驚いたものだ。

ところで。
どうしておじいさんは僕の足を触ったのだろうか。そこのところがよくわからない。

たとえばここで、

①僕の足の筋肉を見て、僕自身知ることのなかった「なんらかのスポーツにおいて数年に一度の逸材になる可能性」を感じた老コーチが、つい筋肉に触ってしまったのかも。

②触り方がリズミカルだったのは実はモールス信号で、なんらかの事情で話すことのできなくなった老人が自身の危機を伝えようとしたのかも。

……みたいな「そんなわけねえだろ」系の仮説を立ててみても、

「もしかしたら、僕の足に、おじいさんが劣情をもよおすような、セクシャルな魅力があるのかも」

……という「そんなわけねえだろ」感には到底かなわない。
触りたくなるような男の足というものがどのような要素によって成り立っているのかしっかりとイメージできているわけではないのだが、少なくとも僕の足にそういう方面の価値はないように思えるのだ。

理解ができないというか、得体の知れない物事への怖さというものを久しぶりに思い知った気がする。これは、恵まれた容姿であったが故に痴漢にあってしまった、というケースとはまた違う種類の怖さである。

僕は、できれば突然足を触られたくはないのだ。そのためには、足を触られてしまった原因を見つけて潰さなくてはならない。その原因は、きっと様々な偶然が重なったときにようやく発動するような、とても希少なものなのだろうけれど、僕の今後の人生で、そのまれな事態が起きないという保証はどこにもない。

ただ、その原因について、まったく何にも思いつけないのである。まったくもって得体の知れない話であり、僕は得体の知れない物事を、とても怖がる性分なのだ。