平熱通信

妄想癖、心配性、よそみがち。

ドアをノックするのは誰だ。

まだ暗い路地をとぼとぼと歩き、駅に向かう。
風が冷たい。鼻とか耳とか、頭部の突出したパーツが少し痛み、きっとほのかなピンク色になっているんだろうなあ、と思う。

とあるマンションのそばを通り過ぎたとき、そのマンションのゴミ回収スペースに、張り紙がしてあることに気付く。その貼り紙は、回収スペースを歩道と区切るための柵に付けられたドアに貼られていた。

貼り紙にはこう書いてあった。

そっと開けてください。
こわれます。

「さあさあそこのダンナ、このドアを開けてみてくださいよ。おーっと、そうはいっても、普通に開けてもらっちゃ困りますぜ、そーっと開けてもらわないと。いかにも頑丈そうなこのドア、普通に開けてもなんてことはないが、なぜか、そーっと開けた時だけ、ぶっ壊れちまうのさ。その壊れ方がなかなかの見もの。試してみて損はなし!」

……つまりこういう↑ことなのか、と一瞬思ったのだが、そんなことがあるわけがない。一瞬でもそういう風に思ってしまったことについて、なんともいえない気分になる。

おそらくあのドアは、どこかに問題を抱えているのだろう。少しでも過剰に力がかかるとドアとしての使命を果たせなくなるくらい、なにかが損なわれてしまうのだ。
だからマンションの管理人は、貼り紙をすることにした。このドアは、できるだけ丁寧に扱われなければならない。少なくとも、修理なり交換なりの目処が立つまでは。

貼り紙に「そっと開けてください」と書き、ドアに貼る。
貼り紙の高さ、字の大きさは適切か。少し離れたところから眺め、それを確認する。その時、管理人はあることに気付いてしまった。

「人にものを頼むのであれば、その理由も記すべきなのではないか」

単に「そっと開けてください」と書くだけでは誠意が足りないのではないか。そもそも、このような貼り紙がしてあれば、理由を知りたくなるのがまっとうな好奇心というものだろう。このドアは問題を抱えているのだ。それを、なるべく短く的確に伝えなければならない。住人がこの貼り紙に視線を向けてくれるのは、それほど長い時間ではないはずだ。
そこで管理人は貼り紙をはがし、管理人室に持ち帰る。
しばし腕組みをして、書きたすべき文言について思案する。
このドアには問題がある。だからあまり雑に扱ってほしくない。……言いたいのはそういうことだ。これを、なるべく、短く的確に。

これ以上の「短く的確」なコメントを思いつくことはできない、というギリギリのところまで考えて、管理人は、貼り紙のすみに、こう書き足したのであった。

「こわれます」

……だからなんだんだよ、と我ながら思うような想像をしながら歩く。無意識のうちに、くだらないことを考えることで、この寒さから気持ちをそらしているのかもしれない。

それはそれとして。
実際にあのドアを「そっと」開けたらどうなるのだろう。
どうなるもこうなるも、もちろん普通に開くだけだとは思う。そうは思うのだが、満々と水をたたえたダムの水面にたらした一滴のラー油くらいの確率で、信じられないようなことが起きるのが人生というものだ。
会社からの帰り道、好奇心を抑え込むことができず、自分が住んでいるわけでもないマンションのゴミ回収スペースのドアをついつい「そっと」開けてしまう自分。「なんだ、普通に開くだけじゃないか」などとつぶやいていると、「夜間のゴミ捨てはご遠慮ください」などという声とともに人が近づいてくる気配がある。自分の顔がどんどんひきつってくるのがわかる。

……という状況をどう切り抜けるか、というテーマについて考えながら、この寒さをごまかすことにした。