平熱通信

妄想癖、心配性、よそみがち。

不要不急の頭髪だけど。もしくは、緊急事態宣言下で髪を切る僕の方法。

そろそろ髪を切ったほうがいいかもしれぬ、などと思いつつ、ついついだらだらと過ごしていたら緊急事態宣言が発表され、「不要不急の外出」と「ぼっさぼさになった頭髪の手入れ」がイコールで結ばれてしまうものなのかどうか思案しているうちに五月になってしまった。

もちろん、僕は髪を切るという行為自体を軽んじているわけではない。髪を切るということはなかなかの重大事で、奥さんがほんのちょっぴり頭髪のどこかを切ったにも関わらずそれに気づかない場合その後の家庭内の平和はかなりあやういことになるし、娘が自分で前髪を切るという行為は、ちょっとしたイベントになる。

先ほどから洗面所方面が騒々しいことになっているななどと思っていたら、しばらくして「失敗したー」などと言いながら涙目になった娘が飛び出してきて、前髪をおでこにおさえつけるような仕草をしながら「くふぅー」などとため息をついたりするのを見ると、「まるで少女マンガだな」と思う。今ではすっかり見慣れてしまったこの光景も、はじめて見た時には、こういうシーンって本当にあるんだなあ、と感心したものだ。もしかすると、「遅刻しそうになりあわててトーストをくわえたままダッシュで登校していた少女が、曲がり角のところで鉢合わせした男の子と恋に落ちる」というエピソードも本当にあることなのかもしれない、と思ったりもした。

「今日はみんなに転校生を紹介する。さ、君、自己紹介して」「えーと、オレの名前は……」「あーっ、あんたはあの時の無神経男! 私の朝ごはんどうしてくれんのよ!」「お、お前、あのトースト女か!」

髪を切るのはバスルームでひとりきり大暴れで、君のいっつも切りすぎの前髪は変な気持ちにさせるのだ。……まあ、それはそれとして。

ただ、今回問題になるのは、僕の頭髪なのである。これこそまさに不要不急の案件だろう。
基本的に、僕は自分の髪型について「どうでもいい」という立場を取っている。髪の毛たちには申し訳ないが、いくら髪型に気を使ったところで、土台がこれではねえ、と思っているのである。いくらフルーツにこだわったところで、スポンジ部分が粗悪品なら、ケーキとしての完成度はたかがしれている。つまりはそういうことなのだ。

とはいえまた一方で、僕はなるべく静かに目立たないように生きていきたいと願う人間でもある。だから、「手持ちの整髪料では制御できなくなりなんだか妙にアーティスティック」とか「起床時はまるでケモノ」とか「会社帰りの疲れが混じったボサボサ髪はまるで仕事を終えた犯罪者」というような、なにか勘違いした付近住民に通報される可能性が生じる風貌になる前には散髪をする。そのタイミングを計りかねていたのが今回なのだ。ちなみに我が町では、夕方になると「不要不急の外出は控えましょう。命を守りましょう」という町内放送が流れてくる。

もうこれは事情を知らない見知らぬ人に通報されてしまうレベルだろう、という自分の判断と、「頭が1.2倍くらい大きく見える」という家族からの指摘を総合的に考慮して、これはこれで緊急事態、いくらクオリティの低い頭部であってもさすがに髪を切らないとヤバい、と判断した。

判断したからには即行動、ということで、馴染みのいわゆる1000円カット(ただし料金は1500円)に向かい、店先の貼り紙で、現在は営業時間短縮を行っており、僕が到着する20分前に本日の営業は終わっていたことを知ることになる。
なるほど今はそういうご時世なのだなあ、などと感心しつつ、そして僕は途方に暮れたのであった。