平熱通信

妄想癖、心配性、よそみがち。

初詣で本当に気にしないといけないこと。

録画したまま溜まっていた落語の番組をぼんやりと観て、図書館から借りてきた本をぱらぱらとめくり、実家に呼び出されてパソコンとスマートフォンの不調をなんとなく解決し、今年の正月は終わろうとしている。
ちなみに、僕は特段、パソコンやらスマートフォンについて詳しいというわけではない。この手の案件で呼ばれた場合、事象をヒアリングし、Googleさんのお世話になってなんとか解決しているだけだ。両親としては、「なんか、急にネットが見れなくなって」とか、「なんか、変なメッセージが出たんだけど、無視してもいい?」くらいのざっくりとした説明で問題が解決するので、それなりに重宝しているのだろう。

正月といえば。
元旦に初詣に行き、ささやかな小銭を賽銭として祈願などしてみたのだが、そういえば、僕は神様にお願いごとをする代金を、なんとなくひとり10円で設定していたのだ。
自分と家族、その他の気になる人たちをひとり10円で計上し、その合計額を支払う。
お願いする内容は、「みんなぼちぼち元気でありますように」というもので、わざわざ「ぼちぼち」という単語を挿入することで、神様がこのお願いを叶える際の難易度を下げている。「絶対病気をしませんように」みたいなお願いよりも「ぼちぼち元気でありますように」のほうが解釈の幅が広く、神様としてもあまり緊張せずに取り組めると思うのだ。

いや、そういう神様への気遣いの話はともかくとして。
今年、僕が賽銭箱に投入した金額は10円玉が10枚なのである。
神様にお願いする際の基本料金がひとり10円というのは、相場として、そして神様的にはどうなのか。そもそも、個人がお願いする際に複数人数分まとめて祈願するのはアリなのか。もしくは、アリだけど一親等まで、というような制限があったりしないだろうか。もっと根本的な問題として、家族同然に暮らしているとはいえ、犬の分のお願いは有効なのだろうか。もしかすると犬は専門外、というようなことはないのだろうか。

僕は「ええと、ここでは柏手していいんだっけ。あれ、何回? 二、三回くらい?」みたいなことを気にする前に、もっと気にすることがあったのかもしれない。
そういえば、初詣のついでにひいたおみくじが大吉だったのだが、その効能が自分にはやや使いこなせないものだったのだ。だから、このご利益の権利を、もっと有効活用できそうな他者に譲渡したいのだが、こういう権利の移動は許されているのだろうか。
もしも僕が神様なら、あまりそういうことにはこだわらないような気はするのだが、神様が僕みたいなぼんやりした性格というのも困るような気がするのだ。

とにもかくにも、元旦から100円払って神様に無茶ぶりだけしてきた、みたいなことになっていないよう祈るのみだ……という祈りは、誰に対してすればいいのだろう。

正月からなんだか混乱しているのであった。