平熱通信

妄想癖、心配性、よそみがち。

全裸発生。

僕の住む町で、事件があったようだ。
これは、スマートフォンに入っているニュースアプリを眺めていて知ったことだ。このアプリでは、自分の住所を登録しておくと、ご当地ニュースを見ることができるのだ。久々にアプリを起動して、僕の目に入った、今年はじめてのニュースはこのようなものだ。

路上で若い男性による全裸が発生しました(特徴:全裸、水泳用キャップ帽、水泳用ゴーグル、スニーカー)。

同じ記事に記されていた事件の発生場所を見ると、我が家からけっこう近いことがわかる。徒歩20分圏内というところだろうか。たとえば休日に、ちょっと長めの散歩をしたときに足が向くことがあるあたりだ。なんとなくぶらぶらと散歩をしていて、もしもこの「若い男性」がぶらぶらしながら歩いているところに出くわしたら、かなり困った気持ちになるだろうなあ、と思う。

それにしても、というかなんというか。
僕がこのニュースで一番驚いたことは、その事件の内容でも場所でもなく、「全裸が発生」という表現なのだ。
全裸とは、発生するものなのか。

「若い男性が全裸になるという事件が発生」ならわかる。しかしここに記されているのは「全裸が発生」だ。僕が見たニュースの原稿は、その道のプロの方が書かれたものなのだろうから、おそらくニュース業界ではまっとうな表現なのだろう。ただ、なんというか、発生、というものは、それが生まれた、という意味合いの言葉なのではないだろうか。「全裸になることで新しい自分が生まれる」みたいなややこしいことを考えなければ、若い男性が全裸になるという状態は、生じるというよりも、形態の変化ととらえるのが妥当なのではなかろうか。

「若い男性が、衣服を脱ぎ、全裸が発生する」

……なんたが妙に違和感を感じてしまうのだ。

そういえば、同じ記事に「特徴:全裸、水泳用キャップ帽、水泳用ゴーグル、スニーカー」とも書いてある。
水泳用キャップ帽、水泳用ゴーグル、スニーカーを着用しているならそれは全裸とはいわないのではないか、と思わなくもないのだが、ただ、もしも自分がどうしても全裸になって町に繰り出したい、という気持ちになったとしても靴くらいは履くような気もするし、仮に、腕時計しか体に付着していない状態で外を歩いたら、それは「全裸が発生」でいいような気もする。

だからといって、「どこからが全裸でどこまでが全裸じゃないか。真面目に考えてみるとなかなか奥深いですな」などと、ことさら重厚なテーマとしてあつかう気もないのだが、それよりも、先ほどさらりと書いた「もしも自分がどうしても全裸になって町に繰り出したい、という気持ちになった」というフレーズが気になっている。そうは書いてみたものの、自分がそういう気持ちなるという状態がうまく想像できないのだ。
現にそういう気持ちになる人がいるから事件が起こり、自宅に一人でいる時には全裸で過ごすという人もわりといるらしいという話も聞いたことはある。それでもなお、全裸を嗜む自分というものが想像できないのは、もしかしたら単に僕がお腹を壊しやすい体質だからなのかもしれない。

ついうっかりとヘソのあたりを短時間露出しただけでお腹がゴロゴロ言い出すというのに、ましてや全裸など言語道断。

きっと、僕の体に叩き込まれていてあるその戒めが、全裸から僕を遠ざけているのだ。

まあ、だからといって、これという感想はないのだけれど。