平熱通信

妄想癖、心配性、よそみがち。

通勤電車はいろいろ満載。

毎日毎日(僕らは鉄板の)、どこかから聞こえてくるのが新型ウイルスの件なのである。
僕の住む町内では、もうすっかりとマスクが姿を消してしまった。会社近くのドラッグストアでは、マスクが少数入荷するという噂がどこからか流れたそうで、その日は店の外までつながる大行列ができたそうだ。
なんだかもう、大変な話なのである。

それにしても、日々、都内有数の乗降客の多さで知られる電車に乗っていると、しみじみと思うのが乗り込むお客さんの国籍の幅広さだ。特に夜の通勤電車には、アジアの人もアメリカの人もヨーロッパの人もアフリカの人もみんないる(ように見える)。もちろんそれは東京という日本を代表する大都市ならではの特徴なのだろうけど、そこに居合わせる僕は特に何も代表していないしがないサラリーマンなのである。というか、これがしがないサラリーマンのしがない日常なのだ。

日本人よりも外国人の比率のほうが高い通勤電車でちんまりと座席に座り、ここにはいろいろな国の人が呼吸をしていて、その中にはもしかすると、なんらかのウイルスを運んでいる人もいるのかもしれない、というようなことを考える。もちろん僕も例外ではなく、いつの間にか体内に侵入されたウイルスを知らない間にだれかに吹きかけているのかもしれない。この電車のこの座席に座っていると、自分だけが特別製のクリーンな体を持っているのだ、とはとても思えなくなってくる。
通勤電車にはたくさんの外国人が乗っていて、マスクをしている人もしていない人もいる。それは日本の人だって同じことで、人によってマスクをしていたりしていなかったりする。まあ、そんなもんだろうね、という風景だ。

新型ウイルスだろうが旧型ウイルスだろうが、自分にできるだけの対策をしたら、あとは運にまかせるしかないのではなかろうか、などと残業疲れの頭で考える。そんなに長時間の残業をしたわけではないのだけれど、ちょっとした残業とか、朝晩の冷え込みなんかが体に応えるお年頃なのである。
なんにせよ、通勤電車でぼんやりと左右を見回していたら、どんどん気持ちが静かになっていったのだ。