やはり、気の利いた会社は休むのかもしれない、と思ったのは、1月4日金曜日、つまり僕にとっての仕事始めである昨日、行き帰りの通勤でのことである。
とはいえ、僕にしたって休日に働いているわけではなく、平日に普通に出社しているだけのことなのだ。金曜日に休むことを許された人たちのような得はしていないが、損もしていない。
それなのに、このなんともいえない気持ちといったらどうだ。
思わず舌打ちなどをしてしまわないように、終始「お口チャックお口チャック」と心の中で唱え続ける一日なのであった。
ところで今日は、『眠れぬ夜のために』という映画を観た。テレビ放送されていたものを録画したおいたのだ。もう30年以上前の作品で、監督はジョン・ランディス。
「眠れぬ夜のために」
なんともロマンチックな、そして少しのさみしさを含んだ言葉なのだろうか……というようなことを30年前、少年時代の僕は思ったのであった。それ以来、このセンテンスは何かの呪文のように僕の胸のうちに沁み込んで、今も眠れない夜には口ずさんでいる。
これは、眠れない夜にどうやったら眠れるのだろうか、という意味の言葉ではなく、眠れない夜にそっと寄り添ってくれる言葉なのである。そう思ったかつての僕は、なんとなく救われたような気になっていたものだ。まあ、全体的に思い込み過剰で、さすが少年時代、グッドジョブ思春期、というところだ。アメリカ製コメディ映画の邦題として生まれた言葉が、ここまでの意味を背負わされるとは思ってもいなかっただろう。
そこまでこのタイトルが気に入っていたのだが、映画そのものは今回はじめて観ることとなった。あまりにもこのタイトルが沁み込んでしまったために、映画そのものについての興味がそれほど湧かなかったのである。ああ、コメディ映画なのね、ま、機会があったら……などと思っていたらそのまま30年経ってしまった。生きていると、そういうこともある。
世の中には「ボタンをかけ違えた」という表現があるが、その言い回しを使用すると、最初から最後まで、全体的にあちこちのボタンをかけ違えたような映画ではあるのだが、80年代っぽい文法とテンポで語られる物語は、休日の午後にぼんやりと観るには非常に心地いいものであった。
あの主人公は、あの後、どうするのだろう。ふとそういうことを思うと、少しさみしくなった。結局のところ、彼の不眠症は治ったのだろうか。なんとなく、また再発するような気がしないでもない。
ところで、主演のジェフ・ゴールドブラムは、なんとなく雰囲気が香取慎吾に似ているような気がする。